Less Than JOURNAL

女には向かない職業

亀梨和也

正直、連ドラを見ることは滅多になくなってしまったが。ものすごーく久しぶりに、最後までとことん楽しませてもらった。生々しいほど“今”の空気感をはらみつつ、物語が進むにつれて『フィールド・オブ・ドリームス』的なファンタジーがポツリ、ポツリと混じってくる……というフシギな感触がなんとも心地よかった。原作を読んでいないので、どこまで原作に忠実な物語かはわからないけれど。青春ドラマのあらゆるデフォルトを真っ向から否定し、“オトナのドラマ”を超越するオトナな哲学を随所にひそませる型破りなストーリー展開を、亀梨&山下に堀北というパワフルな逸材を得てメインストリームに乗っけた快挙。そのノリノリの勢いは、これまた歌謡界の常識をぶち破ってミリオン超えを成し遂げた主題歌「青春アミーゴ」にも象徴されていた。


で、とにかく亀梨である。


いちばん最初に彼を観たのは、KAT−TUNとしてのステージだった。第一印象は“異質”。その風貌にしても、たたずまいにしても、歴代ジャニーズ・アイドルのいかなる系統にも属していない。その、突然変異と言ってもいい“らしからぬ”感に何よりも驚かされた。でも、枠からはみ出しているということは、新しい時代を作る可能性があるということだ。そういえばおニャン子クラブの中に満里奈ちゃんを見つけた時も、モー娘。の中に後藤さんを見つけた時も、第一印象は同じような異質感だった。だから、最初から漠然とは思っていたのだ。何かあるかもしれない、と。


とはいえ、ジャニーズ・アイドルとしてはあまりにも規格外だよなぁ……なんてことも思いつつ時は経ち、いよいよ彼のことがガ然気になり始めたのは“スポーツえらい人グランプリ”を観た時だった。現役・OBからなるプロ野球選手チームに野球好き芸能人チームが挑戦する企画の中で、彼が軟式リーグで世界大会に出るほどの野球少年だったことを知った。なんたってジャニーズといえば、そのルーツは少年野球チーム。プロとの対戦に本気で燃える亀梨の生粋野球少年ぶりを見て、これは面白いことになるかもしれないと思った。ホンモノの野球少年……というのは、考えてみれば、ある意味で究極のジャニーズ・アイドル。ずっと空席だった“黄金の椅子”ではあるまいか!? と。


まぁ、結局、彼は野球にはあんまし関係なく『金八』『ごくせん』といったドラマでの大活躍などを経て、大ブレイクを果たしたわけだが。同時に、ジャニーズ野球少年としても、あっとゆー間に中居正広を抜いて頂点をきわめた(笑)。その後も“えらい人グランプリ”には毎回しっかり出てナイス・プレーを連発し、サイコーにカッコいいガッツポーズを見せてくれて、野球ファンとしてはジャニーズからジャイアンツにレンタル移籍してくれまいかとさえ願ったりしつつ。予想以上に大ブレイクしたなぁと、こちらとしてはすでに結果を見届けて大団円に達したような気分でいたわけである。『野ブタ。をプロデュース』を観るまでは。


これはフツウの“ブレイク”ではないぞ。と、思ったのは『野ブタ。』が佳境に差し掛かり、“修二と彰”名義による主題歌「青春アミーゴ」がミリオンを超えたあたりから。山下のほうはすでにメジャー・デビューしているとはいえ、“修二と彰”は、便宜上まとめられたユニットでメインストリームを制覇した……という意味で、まさに“たのきんトリオ”のパターンなのである(ひとり足りないけど)。だとすると『野ブタ。』というドラマは、現代の『ただいま放課後』。そう思い至ったところで、自分の中に点在していた要素がひとつの線になってつながった。ああ、そうか。そーゆーことなのか。ドラマにしても、“修二と彰”にしても、ここまで型破りでありながらも圧倒的な“勝利の方程式”の匂いをプンプンさせているのはそーゆーことなのかと。


そして、今日、最終回を観ながら思ったこと。
このドラマは亀梨と山下のW主演という体裁をとりながらも、山下の“特別出演”というクレジットが示すように、キャリア的には確実に亀梨より格上である山下が、実質的には亀梨を支える役割を引き受けている。アイドル界ではふつう、意外とこーゆー不平等っぽさはタブーだったりするわけで、ここはさすがアメリカ式エンタテインメントのプロダクションならではの大胆な決断だが、そこまでして亀梨をさらなる高みに押し上げようという意図が、ここに来てようやく見えてきた気がするのである。
山下も亀梨に負けず劣らずの魅力的な逸材であることは承知のうえで、今はあえて亀梨に焦点を絞って書くが……。


修二と彰”は、「ひとり足りないたのきんトリオ」ではない。
亀梨和也が「ひとりたのきん」なのである。


トシちゃんのキラキラぶり、マッチのアウトロー魂、ヨッちゃんのストリート感覚。
トシちゃんの歌謡、マッチのロカビリー、ヨッちゃんのロック。

それはすなわち、
トシちゃんの裕次郎、マッチのアキラ、ヨッちゃんのトニー。
トシちゃんの橋、マッチの舟木、ヨッちゃんの西郷。
トシちゃんのひろみ、マッチの秀樹、ヨッちゃんの五郎。
ということでもある。

光と、影と、リアリティ。
かつてたのきんトリオが3人で担っていたトライアングルを、亀梨はひとりで完結させているのである。ただ、トライアングルの自己完結がスケールアップになるのかダウンになるのかというのは、今はまだわからない。答えが出るのは、もうちょっと先のことになるのだろう。しかし、それでも、現時点において、ワイルドとか、メルヘンとか、フレンドリーとか、アイドルの主要な方向性を全部フツーにひとりでこなしてるっていうことは、おおいに評価されていい。もう、それだけで素晴らしい。今やっている『ザ・テレビジョン』の年末年始号の“亀梨くんが3倍!”という亀梨×3のCMを観るにつけても「あ、これも“たのきん”ってことか?」とヒザを打つ次第である。


ただし、楽曲としての「青春アミーゴ」はたのきんというよりもマッチ直系である。たのきん以降の“ジャニーズ歌謡”と呼ばれるものは数々のソングライターによって数々のパターンが生み出されたけど、結局時代を超えてゆくいちばん強いものは“マッチ系”なのかもしれない、と、この曲を聴いて思った。で、しかも、それを筒美京平馬飼野康二松本隆といった大御所が、かつてマッチでやったことをリバイバルとしてやるのではなく、ごく若い世代のソングライターが新しい感性でやってのけているという点も革新的だった。ジャニーズ作品は、何年も前からティン・パン・アレイ方式で膨大な若手ソングライターを積極的に起用してきた成果が今、じわじわと出てきていて、この「青春アミーゴ」はその決定打ともいえる象徴的な楽曲となった。いろんな局面で、世代交代が始まっている。『野ブタ。』はおそらく、音楽面でもひとつの分岐点の役割を果たした。


たのきんトリオから25年。ジャニーズは、いよいよ新たなディケイドを迎えるのか。


最初に亀梨和也を見た時にコチラ側が感じていた異質感は、多かれ少なかれ、当時の本人も何らかの形で感じていたのではないだろうか。伝統というメインストリームにとけ込むことのできない自らの存在感の、居心地の悪さ……みたいなものを。けれど、過去のメインストリームに属していない者だからこそ、新しいメインストリームを作り出してゆけるのだ。『野ブタ。』のラス前回で、クラスメイトの蒼井かすみが“野ブタ。”のスカート丈や髪型を変えることで彼女をプロデュースしようとして、ことごとく失敗する。それは、世に溢れる“プロデュース”失敗例とまったく同じことで。メインストリームを真似た時点で、メインストリームを塗り替えることは不可能になる。世の中が考える王道とはちょっと違ったモノ、それをありのまま出してゆくことで新しい価値観を広めてゆく。というのが、ドラマの中での修二と彰による“プロデュース”方法だったわけだが。これは同時に、奇しくもジャニーズ・プロデュースの極意をも示していたのではないか。亀梨の生き生きとした輝きっぷりに、そんなことすら思う。このドラマに限らず、ノリにノッてる場所というのはさまざまな奇跡を連鎖反応のように呼び込むものだ。ポジティブに生きていくことのメリットって、こーゆーところにあるのかもしれない。