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女には向かない職業

このミス!2006年版

  • 『このミステリーがすごい! 2006年版』(宝島社)


 今年も“このミス!”の季節がやってきました……というくらい、自分にとっては恒例行事として楽しみにしているとゆーのはウソではないのだが。最近はなんか、ブツブツとボヤくために買っているような気がする。
いや、この本にボヤいているわけではない。
 海外ミステリは、やっぱりますますマイノリティよのぉ〜。
 と、「このミス!」の選評を読みながらタメ息をついてしまうのです。

 ここ数年の、日本ミステリ界の盛況はうれしい。が、となると、海外ミステリ人気はますます衰退の一途。洋モノ愛好家としては、ちょびっと淋しい。需要がないので、出版点数も年々グングンと下がってゆくわけだし。出せば売れる人気作家とゆーのも、コーンウェルとかごく一部になってる。しかも、近年の「このミス!」選出の海外モノはファンタジー勢が優勢だし。
これだけ日本を舞台にした面白い物語がたくさん出てきたら、ミステリ・ファンが洋モノを読む時間が減ってくるのも当たり前だよなー。と、いうのはわかってるんだけどねー。で、海外作品が日本作品の代替品だったとも決して思っていないけれど。

 これはつまり70年代終盤〜80年代以降の日本の音楽シーンと同じ現象なのだろう。と思う。

 もともと、セールス的な意味では昔から洋楽よりも邦楽が優勢ではあったのだが。シーン全体のクオリティの平均値という意味では、ある時期まではやっぱり洋楽シーンのほうが断然高かった。なので、日本の音楽に対しても“洋楽的”であることがひとつの絶対的な価値基準もしくは“褒め言葉”として成立していた。洋楽>邦楽という偏見や、「自分は洋楽しか聴かないが、邦楽の××だけはイイネ」なぁ〜んていう業界ロックおやじの発言も許されていた。そんな時代があったのだ。ちょっと前のことだけど。あのJ−WAVEだって、最初は“洋楽しか流さない”を基本コンセプトにしていたのだ。
 で、ある時期から、洋楽と邦楽のスタンスはセールス面以外でも完全に逆転した。日本ならではのポップ・ミュージックというクオリティが完全に熟して、英米の音楽に対する“追いつきたい”的なコンプレックスが崩壊した結果だった。
 ま、音楽に限らず、映画でも演劇でも、すべての文化がそうなのかもしんないけど。

 近年、日本のミュージシャンたちが屈託なくフツウに海外で活躍しているのと同じように、日本の優れたミステリ作品はごくアタリマエのように海外で支持され、翻訳出版され続けている。
何年か前までは、「また海外ミステリの時代が来ないかなぁ」とブツブツ呟きながら「このミス!」を眺めていたものだが。もう、逆転はないだろう。そのことが、だんだんわかってきた。洋楽と邦楽が逆転したら、二度と元には戻らない。それは逆転ではなくて、文化の進化。なので、逆転されたらいけない。

 で、時代が変わり、過去とは違った意味での洋楽の重要性が生まれてきたように。ミステリも同じことが起こりつつあるのだろう。翻訳ミステリの出版点数が減っていくことで、なんでもかんでも、アホみたいな謀略小説まで翻訳が出ていた時代と違って、翻訳出版される作品のクオリティのハードルもぐっと高くなっているのだろうし。
ただ、かといって、ル・カレの翻訳が出るのかどうかとヤキモキするよーな時代が来るというのは、さすがに隔世の感がありますがね。まぁ、音楽でもビックリするような有名なアーティストの日本盤が出なかったりするんで覚悟はしてますが。

 と、いろいろ思いつつ、それでもボヤきながら「このミス!」を読む年末。
 これはもはや、ひねくれた心で楽しんでいるってことだな。
 その昔、『ニューミュージック・マガジン』時代からの古株愛読者であるオジサンたちが「最近のミュージック・マガジン、読むところがぜんっぜんないんだよねー」とイヤミたらたら言いながらも定期購読しているのを見て、「じゃあ、読まなきゃいいじゃん(怒)」とおおいにムカついていた。が、今のわたし、まるっきり当時のオジサンたちと同じですよ。なので、何があっても「このミス!」は毎年毎年ボヤきながら買い続けるのであろう。いやな客だね(T.T)。