Less Than JOURNAL

女には向かない職業

ナベちゅネ

昨日から2夜連続で「NEWS23」で筑紫哲也ナベツネ・インタビュー。
わたしは最近、とてもナベツネの動向や言動が気になっている。
言うまでもなく、われわれ野球ファンにとってのナベツネのイメージは慢性の「欲しい欲しい病」の「ウルトラ・クレクレタコラ」キャラ。アンチ讀賣だけでなく、讀賣ファンにとっても。いわば、球界史上最強の悪役であり続けているわけだ。
が、そのナベツネが最近、ホンキで日本の未来を心配している。
もう、言うことなすこと、おなじみのベランメエ・ナベツネ節ではあるのだが、そこに今までは見ることのできなかった不安というか、無力感みたいなものが隠れているのが伝わってきて。なんていうか、うまく説明できないけど、漠然とドキドキしてくるのだ。
彼の思想に共鳴しているとか、そういう具体的な話題に対する思い……というのとはちょっと違うんだけど。なんていうか、なんでも手に入る権力を持った、野球ファンには暴君として知られている人が、今の日本をこれほどまでに心配しているって、ひょっとしてタイヘンなことなのでは。コトバの端々からは、この国の暴走を自分では止めることができないという焦りすら匂わせている。この事実は、今、我が国の混沌を象徴しているような気がして、で、ナベツネが気になる。

昨年末だったか「報道ステーション」でのインタビュー。自らの死生観を淡々と語る様子に、ああ、この人はやっぱりタダモノではないと思った。人間は誰しも、年齢を重ねることでどんどん死へと近づいてゆくわけだ。ましてや、80歳にも近くなれば。死は誰だっておそろしい。が、いかに現実ときっちり向き合って、いかに死んでゆくかという準備を重ねてゆくかが、人間にとってはとても大きな仕事であるような気がしている。ナベツネは今、寝る前に本棚に並んだ本を眺め、死ぬまでに全部をもういちど読み返すことはもはや無理だという事を思いながら眠りにつくのだと語る。自らの死を意識した時に、いかに穏やかな心を手に入れるか……。生まれてから重ねてきた人生の年輪というものの意味は、その心境に至る瞬間にこそ、もっとも大切な意味を持つのかもしれない。今日の「NEWS23」では、ナベツネは筑紫を新聞社の自室へと案内して、自分の葬式でかけてほしいカセットテープを入れた箱というのをニコニコしながら見せていた。カッコいいなぁ、ナベツネ。と、思った。ナベツネに限らず、お年寄りたちはよく「オレの葬式にはあーしろこーしろ」みたいなことを言う。そう言われたら「また、そんな縁起でもないことを」と笑い飛ばすしかないけれど。そのコトバの奥にある、深くて崇高な何か。それは、今の自分にはまだまだマネすることすらできない人類の神秘なのかもしれない。

昨今のメディア報道がはらむ危険性までをも、ナベツネは真摯に訴える。彼が嫌いな人たちにとっては「自分のことを棚にあげてよく言うよ」てなことになるんだろうけど。そう言われることもわかった上で、それでも言っておかねばならないことは言っておかねば。みたいな、ある意味、覚悟を感じる。そして、自分が昨今感じているボンヤリとした不安の正体を説明するカギが、ナベツネの最近の言葉の中にあるような気がしてならない。
で、なんだか顔つきも穏やかになっているよーに見えるナベツネの変化というのは、前述の死生観みたいなものとも決して無関係ではないはずだ。

そういえば「報道ステーション」の時には、料亭帰りに酔っぱらったまま囲み取材であれこれ放言を繰り返してきたことについては「反省している」と言ってたけど。たぶん、あれは反省してないな。ああやって、ドサクサにまぎれて、メディアに向けて本音をチロチロッと吐く場所を確信犯的に確保してるんじゃないかなぁ。だって、酔って失言したフリして、ずいぶん爆弾発言してるものね。千鳥足も演技では、と思うほど。メディアの利用の仕方が、とんでもなく巧妙だね。そういう意味では、やっぱ悪ジジイだけどね。

追記。あ、そういえば、つまり年末にはテレ朝に出て、昨日今日は筑紫と対談してるんだね! それって、えー、書くと長くなるからやめとくが、もしかして、そゆことなのかなぁ……(しみじみ)。