Less Than JOURNAL

女には向かない職業

しあわせの宝箱、みたいな。

先月発売と同時に秒殺することでリスペクトの念を表明する予定だったが、諸般の事情により、恥ずかしながら昨日ようやく入手いたしました。

『モダン・ジャズ鑑賞』(1981年・角川書店)、『現代ジャズの視点』(1982年・角川書店)、『ジャズからの挨拶』(1968年・音楽之友社)、『ジャズからの出発』(1973年・音楽之友社)、『相倉久人の"ジャズは死んだか"』(1977年・音楽之友社)、そのほか雑誌への寄稿などから山下洋輔が編纂した、相倉久人のジャズ論アンソロジー

仕事帰りに六本木駅の上にある本屋で買って、地下鉄に乗って洋輔さんの序文を読んでいるだけで、すでに涙目になってしまいました。60年代、山下洋輔をはじめとする若手ジャズマンたちと相倉久人がいかに互いに支えあい、刺激しあい、時にはぶつかりあいながら共生してきたか。その緊張感、おそらく命がけと言っても過言ではないほどの真摯なせめぎあい。今日に至る日本語のロック史が始まる前の混沌、すなわち新しい時代を迎えるにあたっての下地というか予兆は、フォークとかGSといったポップ・ミュージックのみならず、もっとも攻撃的かつ進歩的な文化形態としてのジャズ・シーンの中にも含まれていたのではないかと想像する。特に、音楽全般に対するアティテュードだったり、アンダーグラウンドとメジャーの両極を自在にクロスオーヴァーしてゆきながら新たな可能性を追求してゆく破壊力(?)だったり。そういう精神的な面での影響力は、有形・無形ともに、かなり大きいのではないだろうか。日本人による、日本人だからこその外来文化……というものが急速に構築されていった60年代から70年代にかけて、後にはジャズ・シーンのみならずポップ・フィールドにも多大な影響を与えることになるミュージシャンや評論家たちの試行錯誤や切磋琢磨があった。

ほどよいズッシリ感のある重さ。ソフトカバー。その丁寧な作りには、編集者の愛を感じる。自分にとっても、ものすごく大切な本になるだろう。うれしいなー。これから、ちびちびとレコード聞きながら読むのだ。ちょー楽しみ。評論で興奮。それは、わたしにとって最もしあわせな経験だ。ここで言う興奮とは「そうそう、自分も同じこと考えてました」という類の“共感”とは違う。そもそも、自分に共感されるよーな文章ならば、自分ひとりで考えていればすむ話で、別にお金を出してまで読む手間はいらぬ(←いわゆる、わたしを会員にする会員制クラブなどには入りたくない、の話か?)。本来、自分には想像もつかないよーなことや、同じ音楽を聴いているのにぜんっぜん気づかなかった視点。そーゆーものが欲しくて、読む……という本が手元にあることのうれしさ。相倉久人さんが書いたジャズを聞く、みたいな。そういう感じ。読んでいるうちに、背筋がしゃんと伸びる。その知識、感性、クールで情熱的な文章の美しさに対する感銘に加えて、本来、批評家の矜持とはいかなるものか……ということを思い知るからだ。もちろん、いくら思い知らされたところで、わたしは足元にも及ばないクズであることを承知の上で書いているのだが。ああ、つい最近「♪オーネット・コールマンはぁ〜」などとC調まるだしで書いたわけですが。それはいわば、幼稚園児が斜めがけした水筒にブドウジュース入れて「でも、結局なんだかんだゆって、ロマネコンティにかなうものなしでちゅね。ばぶばぶ」とかほざいてるような文章ですよ。こんな自分を、今すぐ100メートルくらい穴掘って埋めてしまいたい。もう、わたしの耳が感じたオーネット・コールマンよりも、相倉さんが書くオーネット・コールマンのほうがカッコいいんですから。ああ、恥ずかしい。
この本読んで、顔あらって、豆腐のかどに頭ぶつけて、やり直します。