Less Than JOURNAL

女には向かない職業

【ブライアン・ウィルソン vs. ホリー・ゴライトリー】

 待ちに待った、春樹リマスター版『ティファニーで朝食を*1発売日。

 『ティファニー』は、ずいぶんと大人になってから読んだ。のちに原書も読んだ。(英)文盲のわたしなのに、その文体に魅了された。自分はカポーティの文章がとても好きだ、と思った。子供の頃にテレビの洋画劇場で見た美しいヘップパーンは、ホリー・ゴライトリーじゃないということがわかった。

 当代随一の美女が演じても全然かなわないくらい、「本当の」ホリー・ゴライトリーは美しいのだった。もし世の中に『ティファニーで朝食を』というタイトルの洒落たラブコメ映画が存在しなくて、十代のわたしがオードリーの似顔絵(とか写真)が表紙ではない『ティファニーで朝食を』という毅然とした自由について書かれた小説を読む機会に恵まれていたとしたら、どんな青春だったかしらと羞恥プレイばりに甘酸っぱいことも書きたくなるってものだ。

 金色の縁取りがされたティファニー・ブルーの表紙のリマスター版。さすが、村上春樹の本ともなれば、日本最高クオリティの装丁がなされるわけである。ちなみにライナーノーツ*2にも、ずばり、オードリーの表紙がなぜダメなのかということがきちんと書かれている。村上春樹が書くと説得力あるなー。映画があったから原作を読む機会を逸したというのは逆ギレなのかもしれないけど、ああ、もし十代の頃にこんな本(←ティファニー・ブルーver.)を手にしていたら、たまんなかっただろうなぁ。この本を小脇に抱えた、ホリー・ゴライトリーになりたい女の子……なんて、歳をとってから思い出して赤面するにしても、まぁまぁ悪くない若気の至りではあるまいか。十代のうちに学んでおいて損はないことが、この物語にはものすごくたくさん書かれているような気がするので。

 そして、書店にて。
 この物語にふさわしく、まさに「ネコまっしぐら」状態で店頭平積みのティファニーに飛びついたわたしは、次の瞬間、お隣に積んである本を目の端でとらえた。

 ああ、緑地黄色の文字。その色どりはまさしく、ポップス界の

 すみません! 知りませんでした! ジム・フジーリ・著/村上春樹・訳による『ペット・サウンズ』ドキュメンタリーが同時発売だったのです!

 しかも、この本は『ティファニーで朝食を』と並べて本棚に飾ると超ステキ仕様になっていますよ。なんとなく。判型は一緒。でも、ペアルックほどおそろい感はない。いいあんばいの、「並べたい心」をくすぐります。というか、これ、ハルキストだったら絶対に両方買うでしょう。ティファニーとペットサウンズ。

 うわっ。

 もう一度書くので。よかったら声に出して読んでみてください。

 ティファニーとペットサウンズ。

 並んだよ! 並んでるよ! ありえない並びだよ! クララが立ったよ!
 神様仏様春樹様! 本当にありがとうございます。
 こんなにブライアンによくしてもらって……(T_T)。
 よかったね、ブライアン。

 しかも、値段は『ペット・サウンズ』のほうが400円も高いんだゼ(どういう自慢だ)。

 ノーベル文学賞も目前という日本を代表する偉大な文人に、ブライアンがこんなにほめられてるなんて(T_T)。と、さながら、ジョージのことを話す時は自動的に“未亡人”が憑依するモト画伯のやうな心境になってしまいます。

 村上春樹は「神のみぞ知る」を「神さまだけが知っていること」と訳す。
 曲名については、わたしにはちょっともどかしいというか、微妙にわざわざ遠回りしているような感覚になるところが多いのだけれど。実際、“お別れ”とか、他の翻訳においてもそういう彼独特の回路というか、「あ、やっぱりこういう言い方に訳すんだな」という感じはあちこちに感じとれるし、もちろん、それは村上文学の肝にも直結する譲れなさだと思うので、たぶん、そこが村上春樹が訳すことの意義なのです。て、日本語になってないですが。なので、私は「神さまだけが知っていること」という言葉は、今自分が読んでいるのは村上訳なのだと思い出させてくれる目印ということで、村上文学の中の「神のみぞ知る」という新しい角度からの視点を持って、その新鮮さを楽しみたい。

 もう、ブライアンを煮て食おうが焼いて食おうが、おまかせです。本当にありがたいので文句ゆったらバチがあたりますもの。だって、町の小さな本屋さんでもペット・サウンズの表紙がドーンと平積みなんですよ。夢みたい。自分がシンデレラになったくらいの気分だ。これだけよくしていただいているのだからハルキがブライアンって文字を書いてくれるたびに、感謝して万々歳をするばかりである。「ブライアンは五つのカタカナ」by東京ロマンチカ、なんつって。
 99年のブライアン初来日。国際フォーラムの楽屋で、村上春樹さんをお見かけした。「ハルキと同じ空間で空気を吸ったのか」と、後にずいぶんとハルキストから嫉妬されました。が、その時は、もう、自分にとってはゴジラよりネッシーよりも幻の生命体、ブライアン・ウィルソンとの初遭遇という場で、ブライアンと同じ空間の空気を吸ってあわや昇天しそうな勢いだったので、それどころではなかった。たぶんあの場にいた人はみんな同じ気持ちだと思うけれど、全員で宇宙人にさらわれていたと言われても「そうかもしんない」と思うくらい、夢なのか現実なのかよくわかんない時間だったので、細かいことは全然覚えてない。ただ、礼を尽くしたアロハシャツという名の正装(←ビーチボーイズ国の)をして、我々と同じように、ほんわか緊張と喜びがまざった表情をした生ハルキとすれ違ったことはなんとなく覚えている。こんなこと書いたらホントに偉そうで申し訳ないのですが、その瞬間、世界の村上春樹も、わたしどもと同じニオイがしましたので(笑)。ウソじゃないよ。つまり、その場には、すごくハッピーな二酸化炭素が充満していたのですが。村上春樹もみんなと同じ二酸化炭素を出してるのがわかった。

 たぶん『ペット・サウンズ』を見たことも触ったこともないのに、この本を買って、で、そんなにハルキが言うなら聞いてみようかなとCDを買うハルキストは間違いなくいるわけです。昔、わたしがタワレコのジャズ売場で目撃した、こわごわとヘンな動物に触るようにカーティス・フラーの『ブルースエット』を手にとっている都会風で知的で快活な若い美人ハルキストのような人が、今度は『ペットサウンズ』を買うのです! なんと素晴らしい!

 ところで。どーでもいいことなんですが。
 昔、ラジオシティミュージックホールでやったトリビュート・コンサートの時にキャメロン・クロウが「ペット・サウンズはロックンロールのインディペンデンス・デイだ」と言ったので、あーさすがキャメロンいいこと言うわ、いつかパクってやる! とメモったんですが。この本のライナーノーツで、春樹は同じ言葉をデヴィッド・リーフの言葉として紹介している。もしかして、あれはキャメロンじゃなくて、もともとリーフが言ったことなのか? もしくはリーフが書いた台本を、キャメロンが読んだだけとか? だとしたら、キャメロン、元同業者の台本を棒読みするとは、監督としては出世しても評論家としてはずいぶんと日和ったもんだな、ハハーン。みたいな。

 『ティファニーで朝食を』の帯には「村上春樹×トルーマン・カポーティ」、
 『ペット・サウンズ』の帯には「村上春樹×ブライアン・ウィルソン」とある。
 
 カポーティとブライアンが村上春樹を介して、同じ場所にいるよ(T_T)。

 正確には「村上春樹×トルーマン・カポーティ」に対する「村上春樹×ジム・フジーリ」なわけですから、思うに、実質は村上春樹がホリー・ゴライトリー、そしてブライアン・ウィルソンとそれぞれ《×》した物語ですね。

 すごいな。21世紀って、おもしろい。
 ホリー・ゴライトリーとブライアン・ウィルソンが、遙か日本の本屋の店先に仲良く並ぶ日が来るなんて。

 宇宙一の駄目な僕vs.宇宙一の気まぐれ仔猫チャン!

 世紀のタイトルマッチ、果たして軍配はどちらに!?

 しかも、まだ読んでません。買っただけでうれしくて、こんなに書いてしまいました。これから読みます。読んだら、また書きます。

ティファニーで朝食を

ティファニーで朝食を

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

ペット・サウンズ (新潮クレスト・ブックス)

*1:わたくしの都合上、春樹の世界の名作新訳シリーズは今後「新訳」ではなく「リマスター版」と呼ぶことになった。詳しいことは追って本ブログにて書くが。

*2:わたくしの都合上、村上春樹によるリマスターに関する解説も今後「あとがき」でなく「ライナーノーツ」と呼ぶことになった。