Less Than JOURNAL

女には向かない職業

男の■は■■より重い。

☆『ラスト、コーション』(2007年・米=台=中=香)

 ル・カレ派としては、中国版『リトル・ドラマー・ガール』ということにしたい。女優がスパイだということしか共通点はありませんが。

 とにかく、こんなに美しい映画は久しぶりに観た。と。時代背景……というか、そもそもヒロインからして抗日運動に身を捧げる女学生なわけで、映画のテーマそのものが日本人にとっては実に複雑だ。が。それでも、美しい映画だと思った。歴史の一場面の上に、アン・リー監督のアタマの中を広げてみた様子を映像化したら物語になった。そういう作品かも。とにかく、この監督はすごい。西欧と、アジアの文化を、感性を、本当の意味でクロスオーヴァーしていると思う。たぶん同じ題材を他の監督が撮ったら、きっとこんな気持ちで見ることはできなかった。アン・リー監督だから見た。この監督にしか作れない、その絶妙なさじ加減だからこそ成立するスリリングな映画。で、この作品について書くとまったくもってきりがないので、書くのをあきらめたんですが。せっかくDVD見たので、つらつらさらっと覚え書き。

 それにしても。とにかく、もう、公開時から何かっつーとアレの話題ばかり記事になっていたわけで。アレというのは、つまりその、あの濡れ仔犬系母性本能直撃キャラのトニー・レオンと、彗星のごとくあらわれた超大型べっぴんさんのタン・ウェイちゃんとの、それはもう、ものすごいアレ……という話題です。実際すごいんですけど、それはストーリー上の暗喩として思いっきりハデな手法を使ったということに過ぎないのではないかとは思うのですが。公開直前、週刊誌の袋とじグラビアにまでなっていると聞いた時には、いくら宣伝になるとはいえ、まさかの加藤鷹待遇のトニー・レオンが不憫で不憫で(泣)。でも、まぁ、実際すごい宣伝になったし、アン・リー監督もアレについての話になるとニコニコ楽しそうに話してるし、ま、これは確信犯ってことだな。

 さて、で、トニー・レオン。これは今まで誰とも意見が合ったことがないのですが、わたしは『インファナル・アフェア』のトニー・レオンがどうしてもソフトバンクの多村に見えてしまい、以来、いかんいかん、アジアの華であるトニーがスペランカー多村であってはいけないだろうが……と自らを幾たびも戒め、どうにか多村に見えないようにと努力に努力を重ねてはみたものの、いちど多村に見えてしまったものはもう多村でしかなく、しまいには『恋する惑星』でも何でも、トニー・レオンを見たら脳内多村変換装置が起動してしまうようになりました。たとえ本人が目の前にあらわれて「やぁ、トニー・レオンです」と言っても「結局、TAMURA事変ってどうなったんすか?」とか言ってしまうのではと。

 そんなわけで、このままではあわや多村の「三国志」を見るはめになるところでしたが。すんでのところで修正ができました。『ラスト、コーション』は、今までの彼のキャリアからは想像できない極悪役。髪型から喋り方からまるで別人のような役作りで、さすがに脳内多村変換装置は起動しなかった。ただし、なぜか、この映画でのトニー・レオンは脳内で、軽く平沢進に変換されます。なぜ? でも、やっぱしちょっと、平沢さんぽい。コワモテで、ちょっと笑うとこがセクスィーだから? ぽくない?

 て、何の話だったか。
 そうだ。

 物語の終盤、きっと誰もがもっとも心を揺さぶられるであろうシーン。
 おそらく日本軍との宴が終わった後の、日本料理店のお座敷。ふたりきりになったトニー・レオンタン・ウェイが心を通わせる場面。タン・ウェイが歌う「天涯歌女」を聞きながらトニー・レオンが見せる表情は、それまでのクンズホグレツなんかよりも全然「見てはいけないものを見た」という思いにさせる。いや、もう、ホントに。ベッド・シーンでトニー・レオンの■■が見えるとか見えないとか大騒ぎになっていましたが。この座敷のシーンで見たのは、■■よりも見てはいけないものでした。もう、■■なんて見えても見えなくてもどーでもいいじゃん! そんな部位にこだわってるなんて愚かだわ! みたいな。カラダよりも心が通い合う場面のほうが、断然エロティックに見えるというのは……これがアン・リーの凄みだ、と、この場面で完全降伏しました。監督には一生ついていくと決めました。もう高木豊に似ているなんていいませんごめんなさい。