Less Than JOURNAL

女には向かない職業

それぞれの1.17のコト

 何度も書いてきたことだが、14年前の今日、ビリー・ジョエルが《最後のワールド・ツアー》と銘打った『リヴァー・オブ・ドリームス』のツアーで来日中だった。わたしは前々日に福岡公演を見て東京に戻ってきていて、もし間に合うならばその日の大阪公演にも行こうかと目論んでいた。福岡からそのまま大阪に行かなかったのは、その時ちょうどユニコーンのEBIくんのフォト&エッセイ集の構成をしていて、最後の入稿か校正か、とにかく急ぎの仕事があったのだった。明け方まで仕事をしても終わらなかったので、やっぱり今日の大阪はムリかなー、でも、もし早起きして迅速に残りの仕事を終えることができたらば、午後の新幹線に乗れば間に合うんかなー……なんてことを思いながら、ちょっと寝た。そしたら見事に爆睡して、目が覚めたらもう正午を回っていた(東京でも揺れを感じた地震にも気づかないくらい爆睡していた)。げげっ、今日の大阪はやっぱりムリだったかー(T_T)、とガッカリしながら「笑っていいとも!」でも見るかなとテレビをつけたら、あの有名な、バッサリと分断された高速道路の映像が目に飛び込んできた。それが何を意味するのか、しばらくわからなかった。事故なのか、事件なのか。いったい何が起こったら、日本の都会が一瞬であんな風になってしまうのか。当時はすぐには想像がつかなかった。最初は映画か何かの場面なのか、と思ってしまったほどだ。
 その数日前、福岡へ向かう飛行機の中から見た富士山がおそろしく美しかった。なんというか「おそろしく美しい」という言葉がこれほど似合う美しさはない、そういう美しさだった。感動というよりも、何か畏怖のような気分に包まれたことをよく覚えている。ちょうどソニーレコードの当時の社長さんが同じ飛行機に乗っていらして、その後、会場の福岡ドームでお目にかかった時に「富士山、見た? あんなに綺麗なのは初めてだよ」と言われた。やっぱりあのフシギな美しさは、各地を飛び回るジェットセッターのような人でさえも驚く光景だったのかと妙に納得した。
 そんなわけで、阪神大震災について何かを語れる人間ではない。が、毎年1月17日には、その日のことを、なんとなく、自分なりに思い出す。せめて自分にできることとして。同時に、その後、神戸に行くたびに元気をもらってきたことについて考える。わたしなんか何の役にも立てなかったし励ますこともできなかったのに、いつも元気をもらって帰ってくる。震災直後の数年は、だんだんと立ち直ってゆく町並みや、想像を絶する辛い体験をくぐり抜けてがんばっている人たちの優しい表情に、こちらが励ますどころか「包まれる」ような大きなあたたかさを感じた。その、元気をもらった恩返しをしたいけど、何をしたらいいのか……今もまだわからない。なんというか、自分がどれだけ不幸に感じることも、絶体絶命と思うことでも、実は屁みたいなもんであり、人生っつーのは今、この時を感謝して謳歌しないとバチがあたるぜって思う。14年前の出来事は、被災された人たちの人生観を大きく変えたであろうことはもちろんだけど、我々日本人すべての人生観も静かに激しく揺さぶったのではないかと思う。