Less Than JOURNAL

女には向かない職業

おしらせ。

ひっさびさにwww.DaDooRonRon.com更新。

2月のCRT告知をUPしました。
今月は《バディ・ホリー五十回忌》!

そんなわけで、想い出話「バディ・ホリーとわたくしの出会い」をつらつらと書いております。
よろしければ、ぜひそちらもご覧になってくださいませ。

サザンオールスターズの名付け親として知られる宮治本部長ですが、実は、バディ・ホリーの名曲を冠した伝説のロックンロール・マガジン《レイヴ・オン》の名付け親としても知られています。そんな宮治さんを迎えてこそ実現する、初のバディ・ホリー特集。こいつは見逃せませんぜ! よろしければ、気軽にお立ち寄りください♪

ペットサウンズ・レコードで森勉店長に「オールディーズに興味があるなら、これを読むといいよ」と勧められた《レイヴ・オン》は、わたしにとって最もためになるロックンロール教科書でした。しかし、それにしても、町のレコード屋さんに《レイヴ・オン》がふつうに売っている環境に育った自分は、なんと幸運だったのでしょう。

ダリアン・サハナジャさんに「片寄明人くんとわたしは同じ街の出身で、子供の頃から通っていたレコード屋さんの名前が“ペット・サウンズ”」とゆったら、ものすごく感動してくれた。自分でも、この話を英語で説明してみると、舞台が武蔵小山というよりもロンドンかどっかで、なんだか『ハイ・フィデリティ』の世界みたいに思えてきてカッコよすぎるぜーと感動しますた(笑)。

ま、そんなわけで来週はバディ・ホリーまつりです!

で、そういえば、明日はグラミー賞ですね! 早起きしないと。もう寝ないと。



★追記;上書き更新しちゃうので、とりあえずDaDooRonRon.comに載せた告知も再掲載。

  遠い80年代のある夜、わたしはいつものようにNHK-FMサウンド・ストリート”を聞いていた。そして、敬愛するロックンロール・ミュージシャンが、その人の名前を叫ぶのを聞いた。

「ボクはバディ・ホリーが大好きだから、こんなメガネをかけているんだ!」

《こんな》と言われても、ちなみにラジオである。悲しきレディオ。

しかーし、忘れてはいけない。

佐野元春はいつでも長嶋茂雄だ。

電話の向こうでマツイにバットを振らせて、その音だけでバッティング指導をしていたように。あるいは「グッと、ギュッと、パッとやれ」とゆっただけで、千の言葉よりも確かに技術の粋を選手たちに理解させることができるように。

彼が口にしたその名前は、まるで魔法のようにわたしをとらえた。

ラジオの向こう側で、マイクに向かってグッと身を乗り出しながら大きな黒縁メガネを得意げに指さす元春の仕草がわたしには見えた。

バディ・ホリー

「悲しきレディオ」の呪文のような早口言葉で聞いた覚えのある響きと、佐野元春の黒縁メガネがカチリと音を立てて重なった。

翌日、学校の帰り道、渋谷のタワーレコードに寄った。

なんてったって80年代。宮下公園沿いの大きなビルディングができる前の、マザーズの斜め向かい、ジーンズメイトの上の。しかも、まだワンフロアだった頃の!

バディ・ホリーのコーナーには、粗くボケボケのライブ写真をジャケットにあしらったLPがあった。あまりにも地味でテキトーくさいジャケだったので、「ホントにこれが元春がメガネをマネするほどの偉大な人なのか?」と首をかしげながらも、とりあえずそれしか売っていないので買って帰ることにした。

元春がそんなにも、そんなにも尊敬しているミュージシャンならば、どれほどカッコいいロックンロールなのだろう。ワクワクしながら帰宅したわたしは、さっそくLPに針を落とした。その瞬間の、なんともいえない気分は今も忘れられない。

♪てんつく、てんつく、てれてれてーん。

ま、そんな風に聞こえたわたしを誰が責められよう。あたりめぇだよ。

それは、後に「まぬけバージョン」と呼ばれる(←わたしによって)「That'll Be The Day」のオルタネイト・テイクというか、ナッシュヴィル・バージョンであった。そう、数ある(まぁ、少ないけど)バディ・ホリーのアルバムの中で、わたしが初めて手にしたのは、初期にナッシュヴィルで録音された音源だけを集めたレアな編集盤だった。まぁ、だから、ロックンロールではあるのだが、大きな枠組みで考えるとバディ・ホリーにおけるカントリーの部分だけを抽出したようなアルバムだったわけである。

「なんっっっじゃ、これは!」と思いつつも。これを元春が好きっつーならば、好きな理由が何かあるだろう。と、思いつつ、せっかく買ったLPがハズレと認めるのは悔しいので、とりあえず来る日も来る日もナッシュヴィル・セッションを聞き続けた。そうすると、まぁ、これは要するにロックンロールとカントリーのファースト・コンタクトの部分なわけで、類人猿が最初に起こした火みたいなもので。そんなものを毎日聞いていたら、好きとか嫌い以前に、自然とカラダに吸収されてしまうわけで。わたしはバディ・ホリーと出会うと共に、ナッシュヴィルサウンドの洗礼も受けてしまったのだった。これが、その後の長い人生にどれだけ多大な影響を及ぼす出会いかということは、その当時は知るよしもなかった。つか、「なんで元春はコレがそんなに好きなんだー!? もしくは、同姓同名の別人か!?」と悶々とするばかりでしたがね。

人生に「たられば」はない、という。けれど、これは運命だったなぁ……と、今、これを書きながらしみじみと思っている。ちょっとわかりづらい話で恐縮なのですが、その日、もしわたしがタワレコではなく、その手前にある坂を上がって公園通りのディスク・ユニオン(懐・涙)まで行っていたとしたら。当時、そこには結構な確率でバディ・ホリーのボックスが置いてあったくらいなので、フツウに有名なオリジナル盤を買っていたはずである。そしたら「That'll Be The Day」とか「Rave On」とか、フツウにカッコいいロックンロールを聞いて「ああ、これが元春が好きなロックンロールなのか」とスッキリ納得していたはずである。そしたら、たぶん、今とは全然違うベクトルの音楽鑑賞人生を歩んでいたと思う。もしかしたら、そのまま原宿クリームソーダに直行してロケンローラの世界に突入していたかもしれないぜ(?)。しかし、その時は一瞬でも早くバディ・ホリーが欲しかったので、駅から近いタワーで即決したわけで。いやぁ、あの宇田川町と公園通りをつなぐ坂道がオレの人生を変えたのか、と、これからは思うことにする。

ずっと後になって、佐野さんご本人にその話をしたことがある。そしたら、大笑いしながら「それは悪いことしたね、ごめんね」とバディ・ホリーにかわって謝ってくれた。で、「でもね、僕も最初にボブ・ディランのアルバムを買ったのが、ちょうど『ナッシュビルスカイライン』が出た時だったんだ。想像してみて欲しい。もう、何が起こっているのか、さっぱりわからなかった」と、慰めてくれた(笑)。確かに、それに比べたらわたしのバディ・ホリーのほうがまだ解決の糸口のある展開だったかもしんない。とまれ、だから佐野さんはわたしの音楽人生の大恩人なのである。

と、自分の想い出話をつらつらと書いてしまいましたが。入り口は狭いようで広いバディ・ホリー、出会った年頃や時代によって、みなさんそれぞれに想い出があるかと思います。というわけで、命日を迎えた今月のCRTではバディ・ホリーについて語り明かしませんか。悲劇の飛行機事故から今年で50年。日本流にいえば、五十回忌。一般的に、五十回忌というのはいちおう最後の法要ということになっていて。これを終えると、故人も《先祖代々》の仲間入りということになるのだとか。ロックでいえば殿堂入り、みたいなことですかね。で、宮治さんと一緒にCRTでも五十回忌イベント(そんな音楽イベント、初めて聞いたぜ!)を行おうということになりました。宮治さんは伝説のロックンロール・ファンジン『レイヴ・オン』の名付け親であり、大学の卒業旅行でバディ・ホリーの故郷・テキサス州ラボックを訪ねたといいます。思えばCRTとしても、バディ・ホリーは最重要人物なのに今までちゃんと特集したことがなかったんですよね。ロックンロールを愛する人ならば、誰もがまちがいなく恩恵を受けているバディ・ホリー。没後○年企画としては、今年が最後になるのではないかと思います。米iTunesでも、「ロックが死んだ日」記念としてバディ・ホリーの追悼企画が大々的に始まっているようです。やっぱりアメリカは、《根っこ》への感謝と敬意は絶対に忘れないですね。日本でも、そのあたりの意識が変わると音楽シーン全体が大きく変わってくる(というか、豊かになる)と思うのですが……そのあたりの未熟さが、マーケットの大きさに反してちょっと恥ずかしいですね。と、軽く苦言も呈してみたりしつつ(笑)。そんなことどーでもいいんです。ずっとバディ・ホリーを愛してきた人も、これからもっと知りたいと思っている人も、よくわかんないけど、そんなスゴい人なら興味があるぜって人も……みんな、みんな、2月18日はぜひネイキッドLOFTに遊びに来てくださいね! 五十回忌というのは、できるだけ盛大にやるのがよいそうです。とことんにぎやかに、楽しくロック&ロールしちゃいましょう!