Less Than JOURNAL

女には向かない職業

帽子とモジャと球場で。

 さて。週末は、今週二度めの東京ドーム。
待ちに待ったS&G。「vs」ではなく「&」です。スワローズ戦じゃないです。



●サイモンとモジャファンクル

サイモン&ガーファンクル @東京ドーム


 いやはや、楽しかったです。
 なんかもう、とにかく楽しかったです。

 ポール・サイモンアート・ガーファンクル。ふたりが並んで歌ってるだけで、なんか幸せになっちゃうなー。で、大きなお世話ながら、ふたりがちょっと顔を見合わせたり小声で喋ったりすると「わー、やっぱり仲いいなー」とさらに幸せになったりして。しばらく前から来るとか来ないとかいう話になって、特に、洋楽不況の日本公演では動員が厳しいんじゃないか……なんてことも言われていたが、あっとゆー間に東京ドーム2日間が満杯になったのはさすが。しかも、ほぼオトナばっかだよ(笑)。まぁ、野球観戦に慣れてる身としてはそんなに不自然な感じはしないけど、若いファンは不思議に思ったかもね。団塊世代はみんな『明日に架ける橋』アルバムを持っているよ!と言う人がいるけど、まんざら誇張じゃないなと思う。

 代表曲満載、サービス満点。「OLD FRIENDS」から始まるセットリストは、基本的には03年の再会ライブをなぞった流れ。そこにソロコーナーが公平に仲良く3曲ずつあったりするんだけど、ポール・サイモンの曲をガーファンクルが歌ったりもするのでバランスもいい感じで。よくある再結成モノの「各自感」が際だつ感じはない。デュオというか、もう、まさに漫才の「コンビ」とか「相方」とかいう言葉が似合う雰囲気。ほどよい緊張感と、信頼感。さすがアメリカのやすし&きよし(ちがう)。
 「おおーっ!」とビックリしたのは、再会ライブではラテン・ビートを織り込んだアレンジで聞かせた「ミセス・ロビンソン」を、今回、バディ・ホリーの「Not Fade Away」挟んで演奏した! リフの途中から、いきなりジャングルビートになって、なんだなんだ、まさか!?と思ったらホントに「Not Fade Away」が始まってビックリした。超カッコよかった! さすがS&Gもバディ・ホリー50回忌を忘れてはいませんね(ちがうと思います)。これは、セントラル・パークのコンサートでの「僕のコダクローム」からチャック・ベリーの「メイベリン」をつなげたアレンジの続編って感じなのかな。アコギでサイモンさんが力強いジャングル・ビートを刻み、それをしばし仁王立ちでじっと見つめるモジャファンクルさん。後にポール・サイモンがソロの中でジャイヴ・ビートみたいなリズム系に傾倒してゆくものの、実は「ミセス・ロビンソン」の段階ですでにそういうセンスの芽は内包していたのだなと思わせる瞬間だった。

 こういう、ルーツ・ミュージックがちらちらっと見えるところがたまらなくワクワクする。特に、ひとことでオールディーズといっても、いかにも60年代のニューヨークっ子らしいセンスだなぁと思わせる感じがあるところが好き。
 あと、もひとつ、ルーツ絡みネタ(?)で感動したのは、再会ライブの時には感涙のエヴァリー・ブラザーズ・メドレーへと続いたトム&ジェリーの「ヘイ・スクールガール」。モジャファンクルが、この曲の♪ウーパパルー〜のところを「ポールはこれをエヴァリーだと言うんだけど、僕はジーン・ビンセントのつもりなんだ」っつって、そこからいきなり「ビーバップ・ア・ルーラ」を歌い出したのもビックリ。「ヘイ・スクールガール」は「ビーバップ〜」のイントロダクションだったのかってくらいに、ばっちり歌いあげて。ヒョエーと飛び上がるほどカッコよかったすねー。めちゃロックンロールだったなー。




 今さら言うまでもなく「明日に架ける橋」というのは、60年代終盤、いつまで経っても終息の兆しの見えないベトナム戦争、不安定な政情に疲れきったアメリカの、果たしてこの先に希望はあるのだろうか……という不安と諦めのムードに投げかけられた希望の歌として大ヒットを記録した。当時、この曲を歌ったサイモン&ガーファンクルはまだ青二才といってもよい若者で、彼らのような若者が感じる未来への底知れぬ不安、そして、それでも自分たちが明日へ向かっていかなければいけないという青々しくも力強い希望を等身大で歌い上げたわけだ。大人たちの過ちに学び、20年後、30年後には、自分たちの子供たちのためによりよい社会を作るのだと信じて戦ってきた若者たちの歌だったわけだ。つまり、30年後の今には「過去の歌」になっているべき歌だったはず。ところが、最近あらためてしみじみと思うのは、この曲はなんと今の時代に似合っているのだろうということ。いつ終わるともしれない戦争が続いていて、社会は疲れ切っている。


 いつの時代も色あせないエバーグリーンな歌、なんていう爽やかなことを言っている場合ではない。この「明日に架ける橋」が今の時代に与える大きな影響力、時代を超えて必要とされている現状というのを本人たちは誰よりも痛感しているのではないか。結果的に、彼らの音楽は「懐メロ」ではなく「今の歌」として響くというのはもちろんうれしいことではあるけれど。かつて、明るい未来を信じてこの歌を歌っていた彼らは、今、この時代を迎えて、自分たちがまだまだやるべきことはあると肌身で感じているのではないか。
 と、同じことを、しばらく前にニール・ヤングの『フォーク・イン・ザ・ロード』でも書いたのだけれども。ジャンルは違えども、今、この世代に共通する「強さ」を、今回のコンサートでも痛感した。音楽だけじゃなくて、ロバート・レッドフォード監督の『大いなる陰謀』とかもそうだったし。血気盛んで、理想を信じて貫こうとする若者としてベトナム戦争を体験してきた世代に課せられた使命とは何なのだろう。で、それは別に政治活動とかいうものではなく、いろんな形で表出していて、それはいわゆる《大人のロック》ブームの中にもあると思う。なんか、お金もヒマもある熟年世代が昔のロックを優雅に楽しんでいる……みたいなバブリーなものとも、ちょっと違うのかもしれない。最近の、ホントにしっかりと根付きつつある《大人のロック》ブームって。なんか、《芯》があるよ。言葉には出さないし、意識もしていないかしれないけど。何か、ガッシリとして揺るぎない芯があって続いているムーブメントだと思う。東京ドームに来ていたお客さんも、いわゆる団塊世代の方々が圧倒的に多くて。そういう人たちがドームを超満員にしている(しかも、とてもいい雰囲気を作り上げていた)って、とても心強いことだと思うし。なんか、その《子供たち》世代の自分たちはなんて甘っちょろいのか……と恥ずかしくなったりもする。




 と、以上、そんなことも考えたりしたんです。というメモ。



 で。




 話は変わりますが。




 ポール・サイモンといえば、大のヤンキース・ファンとして有名。つか、野球に限らず地元チームを応援するフツーのニューヨーカーのおじさんとして有名。いっつもヤンキースの野球帽かぶってるしね。で、1ケ月くらい前のことだったか。深夜、テレビでヤンキース戦の中継を見ていたら、突如、客席でフツーに群衆にまじって観戦しているポール・サイモンが映った。「うわっ!ポール・サイモン!」とビックリした。そのことが日本の実況で触れられたかどうか忘れたけど、なんか、軽くスルーされてた気がする。触れられたとしても、ほんのちょっとで。で、タイミングよくというか何というか、その直後に今回の来日公演のスポットCMが流れた。いやー、これがもし来日プロモーションだとしたら面白いけど、あまりにも地味すぎて意味なさすぎる企画だなーと大ウケしたのだった。

 そんなわけで。野球好きのふたりのこと、もしかしたらアンコールではジャイヤンツ帽をかぶって出てきてくれるくらいのサービスがあるかもしれないとひそかに期待していた。それはもちろん、だとしたらナゴヤドームでは落合竜帽をかぶってくれたに違いないという期待も含まれる。ま、残念ながらそれはなかったんですけどね。そもそもポール・サイモン……もはや、ずぇったいに帽子を脱がなかったなぁ……美学?(-_-)。


 でも、モジャファンクルさんがステージ上で「我々は今、センターフィールドあたりにいるのかな?」っつってくれた時はうれしかった。



 そして。その時わたしは、1ケ月ほど前にヤンキースタジアムの客席にいたサイモンさんの姿を思い出し、声を大にして叫びたかった。

サイモンさーん! あなたのチームのヒデキ・マツーイは、かつて、あなたがいま立っているあたりを守っていたんですよッ!

 と。



もしニューヨークに帰ってマツーイに会う機会があったら、あなたも東京ドームでプレーをしてきたことをぜひ話してあげてください。東京ドームのセンターフィールドはバリバリのニューヨーカーのサイモンさんのことも、とてもあたたかく迎えてくれたと。そして、東京ドームが懐かしくないか訊いてみてください。セコムの看板が懐かしくないか、と。セコムの看板がなんだか、あなたはわからないかもしれませんが。とりあえず、言えばわかりますんで。ぜひ、伝えてください。


 以上、マツーイへの伝言。でした。


 ああ! ポール・サイモンさんにも、日本の「4番センター松井」を見せてあげたい。


 サイモンさん、あなたをニューヨーカーの中のニューヨーカーと見込んでお頼みもうします。まぁ、いろいろニューヨーカーのみなさんにはご心配かけてますが、あのコはね、やれば打つコなんです。ほんとなんです。マツーイのこと、よろしく頼んますね……残りわずかな期間かもしれませんが(T_T)。