Less Than JOURNAL

女には向かない職業

パスタはボエム、オペラはボエーム

【メトロポリタン・オペラ】プッチーニラ・ボエーム》@6/19 NHKホール

 ついにデビューしたぜ、生メト!
 オペラだけは、決して足を踏み入れるまい。と、かたく心に決めていたのに! オレみたいなトーシロはDVDとCDでじゅうぶん幸せでございますよ、と強がっておりました。が、やっぱり、いちどは観てみたい。ましてや、メトが日本に来てくれるというのなら。と、とうとう禁断の扉に手をかけてしまいました。とは言っても、扉の隙間からちょこっと覗いた程度です。1演目だけっす。ホントはもちろん3つ観たかったんですが。何はともあれ、まずはMet名物のひとつ「ラ・ボエーム」を。そして、次は本場に乗り込もうではありませんか!という意気込みをもって。まぁ、体験講座つーか、社会科見学みたいなものですネ。なので、以下、レポとか何とかいうレベルのお話ではありません。上野駅で降りて西郷さんの銅像を観て帰ってきただけで、メトロポリス東京を語ることができないのと同じことです。すんません。

 そもそも、今回はアンナ・ネトレプコとジョセフ・カレーヤが来る予定だったので、彼らの歌はぜひ生で聴きたい……というのが当初の目的だった。が、公演直前になって、両名がまさかの降板。原発事故の影響に対する不安が払拭できず、残念ながら今回は来日辞退を決断したとのこと。その前にヨナス・カウフマンも、原発事故を理由に家族から強い反対があったとのことで降板している。震災以降、あらゆるジャンルでアーティストの来日中止が続いたが。それもむべなるかな、なのだ。いくら政府から公式発表があっても、日本に暮らしている我々が「ホントかな?」と報道を疑ってしまうような状況だ。海外のアーティストが不安を感じないはずはない。ネトレプコは、チェルノブイリ事故を身近に経験しているだけに、かなりナーバスになっていたという報道があった。正直、今回の公演は中止になるのかなと思っていた。しかし、Metは米国が日本への渡航延期勧告を解除した時点ですぐさま、日本公演を予定どおり行うと発表。本拠地のニューヨークで専門家を招いて、不安を感じる楽団員向けの説明会まで開いたそうだ。この件は米国でも話題になっていて、NYタイムズ電子版でも何度か経過が報じられていた。

 細かく説明すると長くなるので省略するが、まぁ、そんなこんなですべての演目で大幅なキャストの変更などもあって。私が観た最終公演の「ラ・ボエーム」では、ネトレプコの代役としてミミを演じたのは、本来「ドン・カルロ」に出演するはずだったバルバラ・フリットリ。ロドルフォ役は、カレーヤにかわってマルセロ・アルバレス。これにマルッチェロ役のマリウシュ・クヴィエチェン、ムゼッタがスザンヌ・フィリップス……という、ものすごく豪華な面々が揃ってしまった。
 可憐で、芯の強いイタリア女の美徳を体現したようなフリットリさん。ロマンティコでセンティミエントなラテン男のアルバレスさん。素晴しかった。あらためて大ファンになった。フィリップスさんの、タカビーな中にも人情味のある愛らしいムゼッタも魅力的だったし。そして、何度も映像や写真で見てきたフランコ・ゼッフィレッリ監督による荘厳な舞台美術のホンモノが目の前にあらわれた感動。もう、3D映画みたいな感覚というか、修学旅行で奈良の大仏を初めて見た時くらいデジャヴ感たっぷりだったよ。本拠地よりは縮小されたセットのようだけど、それでも2幕の街の人々でごったがえす祭りの雰囲気もばっちりで、ちゃんとホンモノのロバは出るし馬は出るし、着ぐるみクマ(←あれはアンディ・ウィリアムズ・ショウに出ていたクマの使い回しでは、と、かねてから疑っている)もいるし。圧巻だった。マエストロ・レヴァインは体調不良のために来日がかなわず、Metデビュー40周年をお祝いできなかったのは残念だったけれど。ダイナミックさと繊細さ、それから上品なユーモアもある演奏はさすが。

 最終公演だったので、カーテンコールの終わりには出演者・スタッフが勢揃いして「ありがとう、また会いましょう」のボードが降りてくると、ものすごい歓声と拍手だった。笑顔、笑顔&涙、涙。アクシデント続きの中でツアー全行程をやり遂げたメトは、もちろん組織としてのパワーもすごいんだと思うけれど。彼らがステージ上で見せた素晴らしさというのは、組織とか思惑とかの範疇を超越した音楽の底力そのもの。それしかないと思う。
 日本の音楽ファンのひとりとしては、正直、申し訳ない気持ちがあった。音楽というのは楽しいもの、娯楽であるわけだから。日々不安なニュースが報じられる今の日本に不安な気持ちを抱えながらやってきて、素晴しい音楽で私達を楽しませてくださいというのは……やっぱり、なんというか、こちらの都合すぎるというか。それでいいのかな、という思いがあった。演奏者に対してだけでなく、今、優雅にオペラなんか観て楽しい時間を過ごすつもりでいる自分自身に対する後ろめたさも、どこかにあったのかもしれない。楽しめるのかな、とも思っていた。でも今は、本当に、あの舞台を観ることができてよかったなと思う。ひたすら素直な気持ちで音楽を楽しむことができて、夢みたいな時間だった。ああ、しかし、人間とは欲深いものですな。こんな舞台を観てしまったら、やっぱし次はリンカーン・センターで観たくなってしまうではないですか。あのシャンデリアの下で聴きたいではないですか。まぁ、いつかは!

 「ラ・ボエーム」というのは、ストーリーとしてはちょっとフシギというか。ねじれているというか。さまざまな解釈がある、ということは、もともと説明不足なところもある。ミミは、原作に出てくる2人のヒロインをプッチーニが勝手に合体させて作り上げたキャラなので整合性がとれなくなっちゃった……という説もあるわけで。実際、筋書きから想像する限りでは、ミミという女性は純真なのか計算高いのかもハッキリしなくて、わかりやすく魅力的な女性像という感じでもない。登場人物みんなが身勝手で貧乏な自由人なんですね、というひねくれた見方もできてしまうわけで。なのに、それがオペラの舞台となって、あのロマンティックな曲の数々によって物語が進んでゆくと、こんなに悲しく美しい物語があるだろうかと心の底からせつなくなる゜(゜´Д`゜)゜。。。ラストシーンでは、100パーセントの確率で涙があふれてあふれて、どうしようもなくあふれてしまう。物語のツジツマなんて、どうでもいいんだよ。音楽という魔法が自分の気持ちのツジツマを合わせてくれるなら、それ以上のことはのぞまない。音楽って、すごい。理屈じゃない。それを身をもって実感できるのも、「ラ・ボエーム」の魅力なのだと思っている。

 シンガー・ソングライターが自分が見たこと感じたことを歌にして、それを聴衆に向かって歌う。それがどれだけ心を揺さぶるのかも知っている。だけど、会ったこともなければインタビュー記事すら見たこともない作曲家が100年前以上に書いた音楽を、いろんな人がいろんな解釈で舞台として作り上げて、演奏して、歌うことによって、時空を超えた“リアル”に心を動かされることもある。いや、なんというか、音楽はすごい。名前も知らない駅前の歌うたいも、プッチーニも、心の中の同じ引き出しに一緒にしまいこまれることがあるってことだ。

 音楽の力、とは何だろう。
 ここ3ケ月あまりの間、いろんなことが議論されてきた。苦しい時には音楽が何よりも力になるのだという人もいれば、音楽なんて結局は無力だと断言する人もいる。今は、心の奥底まで腕をつっこまれるような深い歌が欲しいと思う人もいるし、他愛もない軽いポップ・ソングにこそ癒されると思う人もいる。ようするに人それぞれで、答えは出ないから、議論すること自体が無意味。私自身もいろいろ考えてはみたけど、やっぱりよくわからない。ていうか、どうでもいい。ただ、最近、ひとつだけ確かに感じたことがある。

 人間はみな、神様の楽器なんだ。
 ということ。

 音楽を楽しむほど心の余裕がないと思っていても、無意識のうちに好きなメロディを口ずさんでいることがある。音楽で他人を癒すことなんかできない……と己の無力感を告白したミュージシャンたちも、それでも自分の音楽を奏でることをやめなかった。

 かつてブライアン・ウィルソンが、音楽を続けている理由について、自分は神様の楽器だから……と説明した。どんなに辛い時でも、自分の気持ちには関係なく音楽が生まれてくる。神様が自分を鳴らしているから仕方ないんだ、と。

 ブライアンの「楽器」としての苦悩は、またちょっと別の問題ではあるのだが。彼の言った《神様の楽器》という言葉は、音楽というものがどこから生まれるか……という神秘を解くキーワードだ。音楽家だけではなく、リスナーだって同じことだと思う。

 自分の考えや意志なんて関係ない。音楽はたいがい、心のどこかで突然勝手に鳴り始めるものではないか? 美しい音楽が聞こえてきて、ワクワクする。それは、自分自身という楽器が共鳴しているから、だ。たぶん人間という楽器を使って、神様がセッションしているのだ。そうに違いない、と最近、自分でもフシギなほど確信している。

 日常を生きることで磨かれ、調律された楽器を、神様が演奏しているのだから。楽しい気持ちになるとか、ならないとか、自分で決められることではない。音楽など聴いている場合じゃないと思いながら、流れてくる音楽にふと笑顔が浮かんでしまうこと。それが罪深い行為だなんて、誰が言えるのか。

 神様が鳴らす音楽を、人間の胸先三寸で止めることなどできるはずがない。



※今回、チケットがハンパなく高かったので、そのぶん何がなんでも楽しまないとソンだというヨコシマな意気込みがなかったかどうかは……そこは、まぁ、煩悩ちゅーことで何とぞ。



 ところで。公演時にもらったフライヤーで知ったのだが、今秋からWOWOWでメトロポリタン・オペラの放映が始まるそうだ。内容はまだわからないが、最新のライヴ・ヴューイングのプログラムを放映してくれたら嬉しいなぁ。楽しみ。