Less Than JOURNAL

女には向かない職業

arrivederci!『リゴレット』最終日。


【いつまで続く自分メモ:今日は本当に全然おもしろいことも何もないメモです。ので、ノークレームノークエスチョンでお願いします】

ミラノ・スカラ座 ヴェルディ作曲『リゴレット
指揮:グスターボ・ドゥダメル
演出:ジルベール・デフロ
@NHKホール 13時00分


リゴレット』最終日。
ドゥダメルの才気に触れ、いろんな発見連続の毎日だった。
歌い手のちょっとした変化に対して、演奏もところどころニュアンスを変えてきたり。
ヌッチさんも、ピットとのアイコンタクトもちょこちょこ図りながら、
“今”の『リゴレット』を演じる“ヌッチのリゴレット”を見せてくれた。
ファルスタッフ』もよかったけど、こちらも超ベテラン&若手の気鋭中心の魅力的なキャスティングでよかった。実力があって、なおかつ伸び盛りって感じで。
ジョルジョ・ベッルージのマントヴァ公は、後半からぐんぐん持ち味が発揮されてきたようで、
「女心の歌」は前回とは別人のような艶やかさで、とても印象的だった。
今回、同じくマントヴァ公での来日が予定されていたジョセフ・カレヤを、ぐっとスイートにした雰囲気というか。
そうなると、オケもパッと華やかになり、大きなスケール感で歌い出す。




「ホルヘさん、グッジョブでーす(^O^)v」



「おいパンダ、もう一度だけ教えてやる。オレはJorgeでもGeorgeでもない。Georgioだ」




歌に寄り添ったかと思えば、時にはあえて歌を突き放すようにしたり。
優しくもりあげたり、淡々とツンデレしたり、激しく挑発したり。
そのバランスがまったく予定調和的ではなくて、時に意図的なのか偶然なのかわからなくなるところもある。
が。そこもすごく面白かったし、4日間ずっと飽きなかった。

とても人間的な息づかいを感じる足取りで、物語が進んでいく。
でも、だからこそ、ここぞでドゥダメルらしいダイナミズムが際立つし、
めくるめく緩急が鮮やかに体現される。
そういうことを理詰めでやってる凄さも感じつつ、
何か本能的に、理屈でなく体が先に動いているとしか思えないような瞬間もたくさんあったりして。
ドゥダメルはものすごく知的な優等生にも、ものすごい野生児にも見える。






彼の中に潜在する無限の歌心が、音楽にあわせて空間に溢れ出てゆく。
「壊す」という行為とはまったく違うけど、
スカラの長い伝統の中で育まれてきた『リゴレット』という作品と、32歳の天才が丸腰で会話をしているような。そんな光景に思えたりする瞬間もあった。


しかし、続けさまにずっとドゥダメル指揮の生演奏だけ聴いていると、
彼のグルーヴ感に体が慣れてしまって、
ここ数日、他の音楽を聴いていても脳内でドゥダメル風に再現されてしまう副作用が出てきました。ちょっとこわい(笑)。
ドゥダメルって、意外とたっぷりした感じも上手だが、あの歯切れ良さゆえに実際よりも体感速度がはやく感じられる局面もあるし。
もちろん実際に(よく言えば)若さを感じさせる性急さもあるし。うまくいきすぎると、そこからちょっとくどさが出てきたりもする。まぁ、そのあたりは指揮者の意図なのかオケのノリなのかは想像するしかないところだけど。
でも、そういう“今”を感じるところも含めて、ライブの魅力。
この瞬間にしか観て聴くことのできない演奏だから、しっかり記憶にとどめておきたいと思った。
いつしか年齢を重ねれば、その年齢なりのタイム感が彼の中に生まれる。
その時には、この、若く溌剌とした、時にせっかちに煽ってベテラン歌手を苦笑いさせたような演奏を愛おしく、懐かしく思い出すのだろう。

どんなジャンルの音楽にもいえることだけど、
ひとつの才能が生まれて、育ってゆく長い歳月を共に過ごすことの楽しみはこういうところにある。


彼も、そしてハーディングも、まだまだ未完の大器といってよい世代ではあるけれども。
この若造たちにあえて舵を預けることで次のステージへと向かうきっかけを探す、
ヴェルディスカラ座”の底力も垣間見た思いだった。
いい仕事するわ。美のアルチザン。


第二幕ラストで歌われるリゴレットとジルダの「そうだ!復讐だ」は、
ヌッチさん出演の3公演すべてで、幕間にアンコールでも歌われた!


来日前にドゥダメルもインタビューで語っていたが、
リゴレット』という物語はこの上なく悲惨で恐ろしいのに、音楽は終始とてつもなく美しい。
特に「そうだ!復讐だ」は、メロディだけ聴けば楽しいとも言えるほどのナンバー。
だけど今回、ヌッチさんとふたりのジルダがこの曲を歌うのを聴くたびに涙が出てしまうのだった。
最初は、なんでこんなに涙が出るのかわからなかったけど。


それも、この若きマエストロが今回教えてくれたことのひとつかもしれない。

父との約束を破って恋に落ちたジルダは、初めて父に背く。
それを知った父リゴレットは、溺愛する娘の懇願を拒絶して“復讐”を決意する。
ふたりの人生が破滅へと向かいはじめる、まさにその瞬間だ。
なのに、そこに流れる音楽はあまりにも美しい。

ドゥダメルの指揮棒は物語の絶望っぷりとは裏腹に、
とてつもなく美しく、おおらかに振り下ろされ、
オーケストラは、生きることへの歓喜を力いっぱい歌い上げる。
この曲を、こんなに明るい……と感じたことはあっただろうか。
そう思った瞬間、ふと気がついた。

この裏腹さとはつまり、リゴレット自身の中にある“裏腹”なのかもしれない。
自分を道化者として偽り、娘を守るために、
抑圧という殻の内側で静かに生きてきたリゴレットが、
良心を脱ぎすて、道を踏み外す瞬間……というのは、
つまり「破滅」であると同時に、彼にとっては「解放」でもあったのかと。
そんな風に考えることもできるんだな、と思った。
地獄の苦しみが待っているとしても、心からわき上がる欲望は
復讐の決意と共に解き放たれてしまった。


これはリゴレットではなく、リゴレットの魂が歌っている歌なのかもしれない。
肉体も良心も地獄の苦しみなのに、魂は解放への歓喜を歌い上げている。


だから泣けたのかもしれない。そんなことがあるのかどうかわからないけど
……いや、ちょっとわかるような気はする。
魂とはあくまでも、自分の肉体に宿った預かり物なんだよね。


パンダすごい。


でも、このことはしつこく書きますが、
カーテンコールで出てくる時の、憑きものが落ちたような無邪気さというか、
巨大な小学生男児みたいな笑顔がまた、いかにも天才らしくて癒やされる。
歌手たちと手をつないで横並びする時も、ふつうに指揮者が真ん中でいいのに、
いつでも「いいです、いいです。ボクはいいです」みたいな感じで端っこに行って、
そのたびにヌッチさんから「いいから若造、真ん中に行け―(^O^ )」と押されてるのがまた、かわいくて、萌える。

今日は、最後は引っ込んだまま出てこないので、何度もヌッチさんが手招きしたあげく、わざわざ奥まで戻ってつれてきた。
なんだか、めっちゃかわいがられてます。


そんなわけで、いちお今日でスカラ座オペラ公演は全日程終了。
“arrivederci”の垂れ幕も出て、感動のフィナーレとなりました。



「ヌッチさん、お疲れさまでしたー!」



「おお、パンダ!よく頑張ったな。さあ、今夜はケツから火を噴くまで飲むぞ」



「ダメなんです。ボク、明日から残業が……」



パンダ in ジャパン
残業ツアー、全5公演!


あ、よく考えてみたらけっこう長い残業だな(o゜▽゜)o
それに、今度は舞台の上に最初からパンダいるんだ。
今日も一昨日も、ほとんどパンダ見えなかったし。楽しみだ。