Less Than JOURNAL

女には向かない職業

《愛のアランFes☆2014》プロローグ

 ここ10年ほどの間に、私にとってのクラシック音楽のありかたを大きく変えるきっかけとなった3つの出来事を経験している。

 ひとつめは、NYフィルがロリン・マゼール時代の最後に来日した時の公演。なんというか、そのパワフルな音圧はキャビアでもフォアグラでもなくミラノ風カツレツでもロッシーニ風ステーキでもなくまさに《特上カルビ》の味わいだなと思ったのだった(濃厚ボルシチに置き換えも可)。
 で。終演後、軽くおしゃれなワインバーにでも寄って帰る予定を変更して焼肉屋に突撃した。もう、アンコールでワーグナーどっかんどっかんやられてる間じゅう、この音楽と釣り合いのとれる食べ物は煙もくもく立ち上る炭火焼き特上カルビしかないと思っていた。もしそこが初台のオペラシティではなくリンカーンセンターだったら、タクシーを飛ばしてコリアンタウンのBBQに向かったに違いない。
 そういう愉しみが似合う音だな、と。
 それはつまり、過去の音源を聴く中では理屈で想像するしかなかった《街の音》としてのNYPサウンドというものをカラダで(なんとなくだけど)納得した瞬間だった。というか。私は米国音楽、なかでも東海岸のロックンロール、ポップスに焦がれて育った。自分の敬愛するミュージシャンたちも聴いてきた音、ブロードウェイの路上でさまざまな音楽と融合しながら発展してきたNYサウンドの最も大切な源流のひとつ……それがNYフィルのサウンドであり、それは今もここに生きていると確かに感じた。指揮者や流行が変わっても変わりようのない、私の好きな“ニューヨーク・サウンド”はずっと続いているんだな……と。

 ふたつめは2009年、LAとNYに2人の若い音楽監督が誕生したこと。初めてニュースを見たのは、その前年だったか前々年だったか。LAフィルのサロネンが後継者として指名したドゥダメルについては、ベネズエラの元気なユース・オーケストラを率いる活躍ぶりをすでに目にしていたし注目もしていた。が、その魅力に囚われて深みにはまるのは、彼がLAに来ることになってからだった。NYフィルのアラン・ギルバートは、申し訳ないことにノーマーク。ゲスト指揮者として来日した時のチラシやポスターで名前は記憶にあった……くらい。
 先に監督就任が内定したのは、NYのギルバートだったと記憶している。両親ともにフィル団員で、ハーバード→カーティス→ジュリアードの超エリートコースを経て、欧米名門オケで修行を積んだサラブレッド。当然、生まれも育ちもニューヨーク。生粋の地元っ子が音楽監督になるのはNYフィルの長い歴史でも初めてということもあり、かなり話題になっていた。とはいえ、当時の彼は40歳そこそこ。当初は、名門NYフィルの監督としては若すぎるんじゃないかとも言われていた。
ところが、そこに登場したのが20代半ばの、“ロック・スターのような”と評されるベネズエラのカリスマ指揮者グスたん。ハリウッドボウルでLAフィルを指揮しての米国デビューからほどなくして同フィルの次期音楽監督に大抜擢。この時点での彼はまだ米国内では無名に近い新人だったので、ものすごいサプライズだった。が、その後たちまち大ブレイク。当時、彼のNYデビュー公演を大絶賛したNYタイムズの小言じいちゃんことトマシーニさんは、若さが不安視されているギルバートも、ドゥダメルの登場によって自分が年寄りのように感じるのではないかと書いていた。アラン・ギルバートと、グスターボ・ドゥダメル。キャリアも個性もまったく正反対ともいえる二人が同じ年に、これまた対照的なふたつの街の音楽監督になったことは、いろんな意味で興味深いことだったし。あまりにドラマティックな筋書きだったなと今でも思う。実際、ここから始まったアメリカのオーケストラ・サーキットにおけるさまざまなケミストリーは連鎖反応のようにつながって……今後どうなるか、楽しみにウォッチングしているところ。

http://www.soundpostnews.com/2009/10/22/classical-musics-version-of-dodgers-vs-yankees/

 上のリンクはニューズウイーク誌の記事を紹介するブログニュース。
 ここに書かれているように、2009〜2010年シーズンの始まりはまさに《クラシック版ドジャースvsヤンキース》。この頃は、“ギルバートvsドゥダメル”という図式に注目する記事やブログをよく目にした。写真を並べるだけでも、すごく対照的でキャッチーだったのも《運》のうち。私も、この対比の面白さからふたりのファンになったひとりだ。全米の名門オケが次々と若い指揮者を音楽監督に迎えている今では、あの頃の不思議なワクワク感をちょっと忘れてしまいがちなのだが。世代交代、というものへの期待が一気に高まったのはやっぱりあの頃だったなーと思う。特に、自分と同じ時代を生きてきた世代の台頭がうれしかった。

 そして、みっつめ。
 これはちょっと漠然とした括りになるが、いわば“インターネットの恩恵”というか(笑)。日本に暮らしていて、国内のメディアだけを見ている状態では海外のクラシック事情から完全に隔絶されていくことを痛感するようになった。特にアメリカのことは、日本でぼーっとしていたら全然わからない。昨年来日したドゥダメルも、LAフィル就任以降のことが日本でまったく評価されていないからとんちんかんなことばかり言われてしまったという、ま、そーゆーわけだがや。て、ま、そのことは愚痴になるからやめておきます。

 ストリーミング配信やネットラジオの急速な普及は本当にありがたい。そして個人的には、やっぱり、やっぱり、いちばん感謝しているのはアラン・ギルバート&NYフィル。ものすごく意欲的なハイテク戦略によって、どれだけ目からウロコが落ちたことか。アラン就任1年目にはiTunes Pathという、いわば月刊NYフィルみたいな配信シリーズを実現。*1 その後も定期演奏会の音源をマメにデジタル販売しているし、そもそもアレック・ボールドウィンがナレーションをつとめるラジオ番組のネット配信によって話題の演奏会はかなりの数を聴くことができる。それによってアラン・ギルバートがどんなに現代好きな現代っ子かというのもよーくわかったし。現代と古典を絶妙なバランスで組み合わせて、それぞれを新鮮に響かせるプログラムを作っていくことで見せる世界観の面白さに興味を持つようになった。
 あるひとりのミュージシャンが好き、という共通項だけでは意気投合できないけど「この人と、この人と、この人が好き」という組み合わせのツボが合う人とは仲良くなれる。たぶんアラン・ギルバートが見せてくれているのは、そういうことなのだと思う。絵画的、と言ってもよい感覚。
 あと、ハイテクといえばNYフィルのデジタル資料館もとてつもなくすごいものなわけだが……長くなるので、またあらためて書くことにする。

 つまり、何が言いたいかというと。

 ここ10年あまりで、私の音楽観はものすごく変わった。で、その間にあったいくつかの重要な岐路には、必ずニューヨーク・フィルハーモニックがらみの何かがあったということだ。意外にも、ドゥダメルではなくNYフィルだった。それはマゼールさんもレニーも含むNYフィルという意味なのだが、いちばん大きかったのはやっぱりアラン・ギルバート。彼のような同世代の音楽家にめぐりあえたことがきっかけになって、ものすごく封建的で意固地で自分本位な聴き方しかしてこなかったクラシック音楽を、たとえばロックンロール音楽のように自由で生き生きとした新しいカルチャーとして楽しめるようになったように思う。
 2009年以降に見たコンサートをいろいろ思い出すと、そりゃもう、数えきれないほど多くの名演や快演があった。でも、いちばん印象的だったのは、やっぱり2009年のアラン/ニューヨーク・フィルの初来日。演奏としての完成度とか、そういうこととはちょっと違うのだけれども。自分の中で、新しい楽しさがあった。という意味で。

 そんなわけで。
 2月、ようやく2度目の来日を果たすギルバート/NYフィル。昨年のスカラまつりに続く、オレのまつりなわけです。配信が中心でCDメディアがほとんど出ていないというのもあるし、そもそもアメリカのオケは人気ないし、世間的にはベルリンやウィーンほど盛り上がってないのはまぁ、日本だから当然っつーか、仕方ないとは思うんですけど。それにしてもギルバート/NYPって評価が低すぎないか。と、不思議に思うわけです。あまりにも今のニューヨーク・フィルのカッコよさが語られていない気がしてなりません。もったいない。例のハルキ&オザワ対談でも、この、旬の魅力という側面にはまったく触れられていなかったのが残念。

 て、まぁ、いろいろあるけど気にしない。
 まつりだ!まつりだ!はじまるよー\(^O^)/


【本日の予習CD】
 これがこれがこれが、まさに、今のアラン/NYPの音だと思います。

*1:このシリーズは、日本からの購入は制限されていましたが。主要タイトルはバラ売りとして発売されており、現在も日本からダウンロード購入が可能。