Less Than JOURNAL

女には向かない職業

《ルサルカ》〜ネゼっちLOVESルネ様 〜

METライブビューイング2013–2014
第5作 ドヴォルザーク『ルサルカ』@東銀座・東劇


 今日は都民劇場でアシュケナージ親子コンサートがあったのだが、チケットを家族に譲った。なぜなら、ルネ・フレミング女王様が十八番の『ルサルカ』を歌うMETライブビューイングが明日までなので。今週はスケジュール的に厳しかったので、オンデマンドに載るのを待とうと思っていたのだが、やっぱりどうしても見たくなってしまったのだった。久々に女王様の真骨頂モノだし。今回もネゼ=セガンの評判がめちゃめちゃいいので、フィリーとの来日前にぜひ彼を見ておきたいなというのもあったので。

 恥ずかしながら『ルサルカ』は今まで見たことがなくて、楽曲も有名なお月様のアリア「月に寄せる歌」しか知らないくらいなので、最初は上映時間3時間40分(休憩含)は長いなーとすら思っていた。が。まったく長さを感じなかった。素晴らしかった!

 METでの上演(収録)は2月、ちょうどスーパーボウルの直後。ルネ様はオペラ歌手としては初めてスーパーボウルで国家斉唱、そのエレガントでパワフルな歌声が全世界で予想以上の反響を呼んだばかりの時期。旬も旬、最高のタイミング。会場の観客も、そしてルネ様自身も興奮冷めやらぬといった雰囲気があったのではないだろうか。しかも、ルネ様にとって最も思い入れの深い演目のひとつである『ルサルカ』。かつて彼女がMETのオーディションで歌い、チャンスを掴んだ曲も「月に寄せる歌」だったという。

 指揮は俊英ヤニック・ネゼ=セガン、すでにMETでは大人気のネゼっち。彼はルネ様が大大大大大好きなのである。音楽監督を務めるフィラデルフィアでもオープニング・ガラにルネ様を迎えたし、今回の幕間インタビューでも「彼女が触れたものすべてが黄金になるんです(はぁと)」「ドボルザークは幸せですよ、自分が生きた20世紀のうちに自分のオペラを歌う最高の歌手を得ることができたのですから(はぁと)」とラブラブ。もう、なんかルネヲタ全開って感じでカワイイ。

 ルネ・フレミングを愛する指揮者と、ドリー・パートンを愛するシンガー・ソングライターは無条件で信頼する。かねてより、これが私の信条である。その感じをわかってくれる人はわかってくれると思うし、わかってくれない人は全然わかってくれなくていい。それは、なんというか、「熟女好きでしょ」とか「ボイン好きでしょ」とかニヤニヤしながら言うバカを軽くブッ飛ばす情熱をもって音楽の本質にまっしぐらに向かってゆく人たちとして信頼しているということなのです。

 実際、この『ルサルカ』でのネゼっちは最高に素晴らしかった。
 序曲からいきなりぶったまげた。
 指揮台の彼をずっと追う映像を見ながら、この人のオペラがなぜいつも魅力的なのかをあらためて痛感した。彼が音楽と向き合う姿勢からして、とても官能的なのだ。目の前にある音楽の海に、ためらいなく身を委ねている。最初の1音から、“楽譜”という理性を超えた場所に行ってしまう。そして、時おり本当に、恍惚が極まったような表情になる。けれど、理性を超えた場所にいながらもおそろしく理性的な指揮をする。その両極がぐるんぐるんになっている感じがたまらなくエロい。エクスタシーを存分に味わいながら、操縦桿を巧みに果敢に操っているような……。
 ふと“天才の狂気”に翻弄されかかっては、理性的に構築されたエレガントなドラマの中へと引き戻される。で、やがてまた狂気と呼びたくなるスリルに近づき、しかし次の瞬間には……という、その繰り返しにクラクラさせられる。
 こういう“ヤバさ”のある若手指揮者、他にいるだろうか。
 わりと優等生っぽい若手が多い中でも、ネゼっちの作る音楽にはいちばん“ロック”を感じる。精神的な意味で。楽譜からはみ出すとか、伝統を破るとかいうことではなく。むしろ楽譜の奥深くまで潜り、伝統に同化しようとしている。でも、その行為こそが自分自身の欲望なのだと宣言しているようにも感じる。これこそが天才の狂気というものなのか。
 指揮者にも“旬”はある。いやぁ、こんな時にナマでネゼっちを見られるのは幸運としかいいようがない。6月の来日がますます楽しみになってきた。

 そういえば、ドレスシャツをノータイで着ているスーツもおしゃれだったな。今、指揮者界の最旬ファッションリーダーといえばハーディングおにいさんとネゼっちだね(きらっ)。クラシック系のおにいさんと、ナウ系のネゼっち。わーい。

 ネゼっちいわく「交響曲3つ分くらい(笑)」という『ルサルカ』なのに、まったく長さを感じさせなかったのはドボルザーク先生の力だけではないはず。作品の神髄まで血肉にしたルネ様の、もはや他のキャストを考えられなくなるほどの表現力。そして、序曲からクライマックスまで一瞬も緩まずストーリーを描き抜くネゼっちの疾走感。
 ドボルザーク=ルネ様=ネゼっち。黄金のトライアングルの勝利だな、たぶん。

 そんな誠実なヲタ、ネゼっちを得てルネ様もパワー全開。正直、これを見ていない人にルネ様の妖精がどんなに可憐かを説明するのは難しい。YouTubeや写真で見て、熟女のネグリジェプレイみたいだと思われても、まぁ、反論はできないです。でも、つまり、ここが歌の魔力ってことである。映像で見ていても、彼女の可憐でせつない魅力にぐんぐん引き込まれていく。たぶんナマで見ていたら、もっとイリュージョンなのだろうなぁ。
 1幕「月に寄せる歌」での、胸張り裂けるようなせつなさでもう泣けてしまう。2幕では、愛する王子のために人間になったかわりに《声》を奪われたルサルカを演じる。女優ばりに演技をするというよりも、“歌えない”ことの苦しみが自然と伝わってくるような“歌手”としての存在感に圧倒される。そんな2幕の後だけに、3幕での歌声はよりいっそう深く突き刺さるし。
 最近、ヨーロッパの某ガラで聴いた彼女の歌声はちょっと以前よりも粗っぽい感じがして「おや?」と思ったりもしていたのだが。スーパーボウルでの経験が彼女を再び奮起させたのか。水の精だけに水を得た魚の『ルサルカ』だからなのか。あるいは、ルネヲタのネゼっちが魔法をかけたのか。チェコ語というまったく親しみのない言語で歌われるオペラであるにもかかわらず、彼女のひと声ひと声に感情を揺さぶられる。

 今回のMCは、ルネ様の盟友スーザン・グラハム。インタビューでは、スーパーボウルでの話題も。試合前の会見で「オペラ界のペイトン・マニング」とまで紹介されたルネ様でさえ、国家斉唱のプレッシャーでずっと眠れなかったとか。そんな親友の快挙を我が事のように喜んで、ちょっと泣きそうになってるスーザン様もチャーミングだった。
 「あなたはオペラのアンバサダーだわ」というスーザン様に、全世界で数億人が見た国家斉唱について「こういう音楽もいいじゃない?」とちょっとでも思ってくれる人がいたらいいと思う…と答えたルネ様。我々だっていろんな音楽に影響を受けてきたのだから、聴く人もそうであってほしいというようなコメントが印象的だった。
 クラシカルなスタイルに立ち返ることが、かえって心を自由にしてくれることもある。スーパーボウルでのルネ様のエモーショナルな歌唱に感動し、アメリカ国歌がこんなに美しいものだったのかと再認識した……という、ルネ様の名前すら知らなかったりするような、オペラにまったく興味のないロック・ファンからのコメントをWEB上のあちこちで見かけた。別にオペラだろうと何だろうと関係なく、スーパーボウルでは“歌声”だけで見事なクロスオーヴァーをやってのけたルネ様。今回の『ルサルカ』にも、ネゼっちのロックな情熱も含めて精神的な意味でのクロスオーヴァー感が貫かれていたように思った。


 余談ですが。ネゼっち、誰かに似てるとずっと思ってたんですが。
 わかった。
 ポール・サイモンだ……しかも、トム&ジェリー時代の(*´∀`*)。

Tom & Jerry (1957-1960) (Remastered)

Tom & Jerry (1957-1960) (Remastered)