Less Than JOURNAL

女には向かない職業

リンカーン・センターだよ、おっかさん。

《どこまで続くかわかりませんが、旅の覚え書きシリーズ【1】》
〜アラン・ギルバート/NYフィル《Nielsen Project》の巻〜



 ニューヨーク・フィル、夢の来日公演から1ヶ月。

 まだまだ余韻はさめやらぬ……なんですが。

 なんていうか、その……来ちゃいました。


 これがほんとのお礼参り



 聖地リンカーン・センター。





 そこにもアラン(o゜▽゜)o、ここにもアラン(o゜▽゜)o。
 あっちこっちにお名前が書いてあります。



 ひああんどぜあ。




 あっちを見れば、あら夜茄子。




 そして最後にっ!スーパーダイナマイト……グス太!!


 あかん!
 なんだかもう、夢の世界。ここは竜宮城か。
 こんなところにいたら、頭がおかしくなってまう!
 はっきり言って、ほとんど逆ハーレムだなっ(`・ω・´)。

 なかなかいつもタイミングが悪くて、実は今回がようやくリンカーン・センター・デビューなのである。話せば長いが、窓口でチケットを買ったのに当日になって行けなくなったことなどもあった。そんなわけで、こんなにも張り切っているのである。とはいえ、私にとって《ニューヨーク》の原体験は、ここらあたりの風景なのだ。最初に来た時からリンカーン・センター(LC)近くに滞在することが多くて、思い出も多くて、いちばん親しみを感じるエリア。コロンバス・サークルからアップタウンに向かってぶらぶら散歩していると、いつも「ああ、今、ニューヨークにいるんだなぁ」と感じる。なのに、これまでいちどもLCの建物内に入ったことがなかったという不思議。

 ひとことで東京が好きと言っても、銀座と下北沢ではノリが違うし。そこで奏でられる音楽もまた、それぞれの街のグルーヴにどこかしら自然と共鳴しているものだ。やっぱり、理屈抜きにニューヨーク・フィルのグルーヴがしっくり来る理由はここにあるんだろか。


 世界のエイブリー・フィッシャー・ホール、当然のことながら敷居が高いイメージがあった。遠くから眺めているだけで、なんかかっこいいしねぇ。たしかに、格式の高いホールではある。が、とってもフレンドリー。なんというか、ヨーロッパの階級社会では成立しえない、米国らしいカジュアルな気取り……ってあるじゃない? ださスノッブっていうか。そういう心地よさ(それを心地よく感じるかどうかは、個人差がありますが)。
 ディズニーホールをはじめ、世界のカッコいい近代的なホールっていうのは確かに素敵だし。逆にヨーロッパの古い伝統的な建造物の威厳というのも好きだけど。その中間の、いかにもアメリカらしい古びたモダンさが維持されているところがたまらなくツボです。個人的に。
 
 コンサート前日、アメリカ到着した日にニューヨーク・フィルから「わたくしどもの調べによりますと、あなたは今回初めてのお客様ですね」というメールが来た。まぁ、日本では昔からずいぶん散財してますが……つーのはさておき、たしかに本拠地は初めてです。で、開演前に初めて記念のプレゼントをあげるから、会場に入る前にココに寄ってね&わからないことがあったらその時に訊いてね……という内容だった。その顧客管理、すごいな……というのもあるんだけど、それより何より前日にそういうサプライズ・メールが来るというエンターテインメントがうれしいじゃないですか(ノД`)。

 で、当日、こんなものをいただいちゃいました。

 わーいわーい。
 ロゴ入りボールペンと、グリーティングカード&封筒セット。NYPBBGセットだよ! オレ・ザ・BBGには、何よりも嬉しいお・も・て・な・し。


 というわけで、2014年春・怒濤のニューヨーク修学旅行の1日目。

●2014年3月14日 2:00p.m.@Avery Fisher Hall at Lincoln Center
Alan Gilbert:Conductor
New York Phiharmonic


Helios Overture,Op.17(1903) 序曲「ヘリオス」
Symphony No1,Op.7(1890-94)
Symphony No.4,Op.29,The Inextinguishable“不滅”(1914-16)


 来日公演での、ブロンフマンのリンドバーグPコンチェルトとか、リサちゃんのショスタコとか、ベトベンとかチャイ5とか……は、記念日のごちそう的なテッパン・プログラムだったわけですが。わたくしのエイブリー・フィッシャー・ホールのデビュー戦は、カール・ニールセン。アラン・ギルバート&NYPが全交響曲録音をめざして取り組んでいるシリーズ《オール・ニールセン・プログラム》。ある意味、渋い。が、来日ツアーでは決して見ることのできない《日常》のニューヨーク・フィルに触れる絶好のプログラムでもある。
 来年で生誕150年を迎えるデンマークの作曲家、カール・ニールセン。彼の作品を初めてニューヨーク・フィルが演奏したのは1962年、とりあげたのはもちろん当時の音楽監督レニー・バーンスタイン。今回の交響曲4番も、ニューヨーク・フィルでの初演は70年のレニーだし。序曲「ヘリオス」と交響曲1番は、今回がニューヨーク・フィル初演だという。ある意味、北欧帰りのアラン・ギルバートがニューヨーク・フィルの歴史を背負って繋いでゆくことを象徴する仕事ともいえる。

 もう、最初の「序曲“ヘリオス”」からすごかった。この曲をナマで聴いたのは初めてだから、あーだこーだ言えないけど。曲が終わった瞬間、拍手するよりも先に「ひえ〜」と声が出てしまった。圧倒された。ギリシャ滞在の印象が反映されたという、骨太エレガンスな作品。いやぁ、生まれて初めてのエイブリー・フィッシャー・ホールで聴くニューヨーク・フィルが、この曲だったというのは運命感じちゃうなぁ(←なんの?)。

 '12 年にリリースされた交響曲2&3を聴いた時にも思ったけれど、ニールセンの作品というのは現在のニューヨーク・フィルにものすごく合っている。もちろん作品自体が素晴らしいというのはあるのだけれど、“NYPらしさ”というものを体現する音楽としての理想的な面があるように思う。このオーケストラの本質ともいえる魅力がわかりやすく、ダイレクトに迫ってくる演奏だった。

 アラン・ギルバートが初めて交響曲4番をコンサートで聴いたのもニューヨーク・フィルの演奏だったそうで、指揮者はサンフランシスコ・シンフォニーとニールセン全集の録音も残しているブロムシュテット。おそらく1994年のことと推測。力強い素朴さと、北欧らしい繊細さと華やぎ、自由さをたたえたおおらかさ、とっても現代的なユーモアもかすかに匂う……で、なおかつ、実はむちゃくちゃ難しい(笑)。そういうニールセンの作風は、ニューヨーク・フィルの潜在能力を自然と引き出すんじゃないかな。ハンパないヴィルトゥオーソ集団であることを、イヤミなくつまびらかにするには最高の作品なのだな。

 アランの「Every music lover should know Carl Nielsen」という信念のもとに着々と続いている《Nielsen Project》。その熱意は、ライヴで体験してよりハッキリと伝わってきた。さまざまな要素の音楽が組重なっているニールセン作品は、確かに音楽好きであればあるほどワクワクする要素が満載。そして、たぶんアラン・ギルバートの音楽観そのものが、もともとニールセン的なイマジネーションと共鳴しているんじゃないかと思う。

 彼はよく、マンハッタンの街にたとえて楽曲の説明をする。リンカーン・センターからブロードウェイを下っていくと、コンチェルトの響きからミュージカル・ナンバー、ストリート・ミュージシャンのジャズ……とさまざまな音楽が耳に流れこんでくるイメージとか、美しい摩天楼とゴチャゴチャした雑踏が同時に存在している街並みのイメージとか。そういうたとえ話が、ニューヨーク・フィルのサウンドを聴くとものすごくよく理解できるし。ニールセンの音楽は、そんな“街”の楽しさが充ち満ちたニューヨーク・フィルの音にぴったり。いろんな景色が次々と現われ、さまざまな人たちが話しかけてきて、場面が変わると街の色も匂いも変わる……けど、それらが実はひとつの大きな物語になっている。みたいな。

 最近サロネンのニールセン交響曲全集をよく聴いていたり、わりとヨーロッパ由来の演奏で親しんできた(というほど深くは聴いてないですがw)。が、ニューヨーク・フィルのニールセンは、ちょっと別モノ。出音でかくて、ウルテクで、一体感から生まれるグルーヴが命……というオーケストラならではのニールセン。だから、いちばん有名な交響曲のひとつ、後半に演奏された4番の迫力もすごかった。左右のティンパニがでんどんでんどん炸裂して、ホーンは吠えて、ストリングスはニューヨーカーの英語のように早口でテキパキとおしゃべりしまくる……みたいな。やはりブロムシュテット&SFSは素晴らしいし、近年のものではドゥダメルがエーテボリ響と録音した4番がダイナミックでカラフルで大好きなんだけど。ダイナミックでありながら色っぽくて洗練されたニューヨークの4番を聴いてしまうと、なんか、今まで聴いた演奏がすべて後ろに過ぎ去っていってしまうような気分になる。

 《Nielsen Project》はライヴ録音で全集が出るはずで、この日はWQXRのレギュラー番組の録音も入っていた……はずなんだけど。なじみのない作品である上に、あまりにも熱演だったもので1番では楽章の合間で嵐のような喝采がわき上がったり。まぁ、うまく録音物になるかどうかは微妙かも。でも、そんなところも含めて、アジア・ツアーというビッグ・プロジェクトの後で、ホームグラウンドでの真摯な日常を垣間見られてよかった。
 この前週には大女優エマ・トンプソンが主演するソンドハイムの音楽劇《スウィーニー・トッド》という、今シーズンいちばん華々しいスペシャル・イベントもあって。まぁ、それも見られたら超シアワセだったというのが本音ですが。実のところ、私の日程ではここしか見られないという事情がありまして。でも、それでもアラン・ギルバートが個人的にとても大切に育てているプロジェクトを見ることができたのは本当にラッキーだった。
 まぁ、まさに《愛のアランFes》の続きってことで。ふふふ。


 で、以下余談ですが。なんだかほんとにリンカーン・センターの雰囲気が大好きになってしまった。居心地もいい。
 エイブリー・フィッシャーはデッドだデッドだデッドデッド……といやになるほど聞いていたけど、素人の(というか、つまり一般観客ってこと)私は、そんなに気になるほどデッドとは感じなかったし。この旅で4回、違う席に座ったけど音はどこでもそれなりに回ってたと感じたし。空気が乾いているぶん、楽器の鳴りもすごく気持ちよくて。出音のでかいオケとバランスのとれた会場なのではと。サントリーと比べて違うとか、そういう比較論で考えるとまた印象は違うんだろうけどね。
 あと、日本から来たからよけいに感じることかもしれないけど、それにしても客席の空気ゆるすぎ(笑)。ま、好き嫌いがわかれるところでしょうが、このゆるさが愛しい。それがいいことかどうかは別として、コンサートの間じゅう客席はゲホゲホ咳しまくりとか。演奏中に、最前列のお年寄り(つまりVIP会員)がステージの端を掴んでゆっくり伝い歩きで退場したのにはびっくりした。もう、なんかね、これがサントリーホールだったらコンサートやってる間に係員とつかみ合いのケンカが起きそうなマナーではあるのだが。別に、客席も舞台上も気にしていない。私もふだん、咳ばらいは気にならなくても、演奏中にパンフレットが床に落ちるパタンッて音はさすがにどきっと気になってしまうのだけど。NYではパンフどころじゃない、なんだかわかんないものがブヒャッと落ちる音とかしていたし(泣笑)。気にしてたら、コンサートなんか観ていられない環境。まぁ、音は立てないに越したことはないのは当然だとしても、たとえ大きな雑音が鳴り響いたからといって、だからどうした……ってことなのだ。あたりまえのことだけど、あらためてそう思った。自分が音楽に集中していれば、そんなことどうだっていい。日本のコンサートだと自分自身が「音を立てたら2000人に睨まれる」というヘンなプレッシャーに縛られているから、他人にも敏感になってしまうんだろうか。


 とはいえ。
 ハッシュタグ《♯concert cougher》ってのもあるくらいに、客層の高齢化にともなってコンサート中の咳払い問題はますます深刻のようで。





 さすが。このウィット。わたし、アメリカに来たんだな〜と笑みが浮かんでしまった。
 音楽監督の粋な計らいで(←個人の想像です)、ホールの洗面所にはバスケットいっぱいのホールズが置かれている。LAフィル公演の時にはなかったから(笑)、たぶんニューヨーク・フィルのサービスですね。ユーモアをたたえた精一杯の丁寧なお願い文も、ホールズ無料サービスもどれだけ効果があるかは《?》ですが。


 休憩時間、ロビーで即売をしていたおばさまがバッジをくれた。
 この旅における、最高のスーベニールです。

 Yes,We Love Nielsen.

Nielsen: Symphonies 2 & 3

Nielsen: Symphonies 2 & 3

 デンマークのレーベルからリリースされた交響曲2&3。リンクはMP3のページに貼っちゃいましたけど、配信中心のアラン/ニューヨーク・フィルとしては貴重なフィジカルもあります。続編が楽しみです。