Less Than JOURNAL

女には向かない職業

後略、道の上より。

《やっと最終回、旅の覚え書きシリーズ【7】》
〜最後に答えが降ってきた〜


いやー。今回はほんとにお世話になりました。リンカーンセンター、すみずみまで堪能しますた。

2014年3月20日 7:30p.m.@Avery Fisher Hall at Lincoln Center
15700th Concert

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New York Philharmonic
Jeffrey Kahane ;Conductor and Piano

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RAVEL(1875-1937) Piano Concerto in G major(1929-31)
WEILL(1900-1950) Symphony No.2(1933-34)


GERSHWIN(1898-1937) Concerto in F for Piano and Orchestra(1925)


 ラヴェルと、ワイルと、ガーシュウィン

 アメリカらしい、というか。
 これぞニューヨーク・フィル、ある種の真骨頂ともいえるプログラムだった。

 演奏されたガーシュウィンラヴェルのピアノ協奏曲は、20年代のジャズに少なからず触発された作品だし。そもそも今回とりあげられた3人の作曲家は、それぞれ20~30年代ニューヨークとの浅からぬ縁を音楽に反映させてきた人たちでもある。

 ピアノと指揮は、ジェフリー・カハーン。米国の名門オケとの活動が中心のピアニスト/指揮者だ。音楽監督として17シーズン目を迎えるLAチェンバー・オーケストラ(ロサンジェルス室内管弦楽団)との活動が有名だが、2010年まではコロラド・シンフォニーの音楽監督も務めていた。1956年生まれの57歳、LA育ち。もともとピアニストで、83年のルービンシュタイン・コンクールの優勝者だ。それ以前、81年のヴァン・クライバーン・コンクールでも4位を獲得している。で、クラシック畑の人ではあるのだが、なんたって60〜70年代のLAに育っているわけです。最初はギターを弾いてフォークとかロックもやっていたそうだし、クラシックを学んだ後も、オーケストラの他にジャズやミュージカルの演奏の仕事もしていたというし。息子はブルックリンでシンガー・ソングライターやってるし。私にとっては、自分が頭の中でちょっとずつ描き足してきたアメリカ音楽地図を見せたら道案内をしてくれそう……というイメージの人。こういう背景を持った音楽家を知るたびに、自分の中での《地図》がカラフルに彩色されていく気がする。


 さて。コンサートはラヴェル最晩年の作品であるピアノ協奏曲から始まる。これは「パリのアメリカ人」ならぬ《ニューヨークのフランス人》、みたいな要素も色濃い作品だ。ちなみにNYフィル初演は1933年、指揮はブルーノ・ワルターだった。

 作品は、ラヴェルアメリカ演奏旅行から帰国した後に完成した。
 この演奏旅行は各地で好評で、とりわけニューヨークでの公演は熱狂的なスタンディング・オベーションを受けるなど大成功だったとか。滞在中に、友人であるジョージ・ガーシュウィンがあれこれと街の魅力を教えてくれたことも大きかったようだ。そびえる摩天楼の様子も新鮮だったと思うし、なかでもハーレムなどあちこち連れ回されて本場のゴスペルやジャズを目の当たりにした時のカルチャー・ショックたるやハンパなかったらしい。“新鮮”である以上に、音楽家として何か波長がピタッと合う感じもあったのか。で、作品にも、そんな経験が色濃く反映されている。
 だから、この曲をニューヨーク・フィルの演奏で聴くのはかなり理想的な組み合わせ。

 ラヴェルと、このオーケストラのサウンドはやっぱり相性抜群だ。
 昨年のシーズン・オープニングのガラでもラヴェルの「ボレロ」が演奏されたのを放送で観て、やっぱりアラン&NYフィルのラヴェルは最高にいいなと思った。ミニマル音楽などの要素も自然体で吸収してきたアランのモダンな感覚と、都会的かつ古風な洗練と爆発的な高揚感をあわせもつオーケストラのサウンドとが、ラヴェルのクールな音像の中で理想的に融合する。

 カハーンによるピアノ弾き振り演奏も、そんなニューヨーク・フィルらしいラヴェルサウンドの魅力を存分に引き出していて素晴らしかった。なんだかもう、1930年代当時の華麗でギャッツビーでアールデコな光景が思い浮かんでくるような演奏だった。

 続いては、クルト・ワイルの交響曲2番。
 コンマスには、今期で退団するグレン・ディクテロウ。やっぱ、こういう大事な場面は御大でなくちゃ。ディクテロウさんがそーっと登場したのに、客席の一部から拍手がわき起こった。それを、笑いながら片手で「いいから、いいから」と小さくさえぎる仕草もまたチャーミング。カハーンさんと、世代はちょっと上だけど同じLAで神童ヴァイオリニストと呼ばれたコンマスとが笑顔で握手を交わす“ドラマ”にもちょっぴりキュンとしてしまった。

 「マック・ザ・ナイフ」で有名な『三文オペラ』(28年)よりは後に書かれているが、アメリカに移住して軽音楽に深くかかわるようになってからの作風とも異なる作品だ。この曲をニューヨーク・フィルが演奏するのは、なんと1934年12月のワルター指揮による米国初演以来のことだそう。そのアナウンスに、会場から「うぉー」という小さなざわめき。そもそも世界初演は34年10月のアムステルダム、同じくワルター指揮のコンセルトヘボウ・オーケストラだったというから、ニューヨークでも限りなく世界初演に近い演奏だったわけで。それ以来の再演というのだから、これは超レア企画。私のような観光客でも盛りあがるのだから、ましてや地元のみなさまには感慨深いものがあったはず。

 この曲では、指揮者としてカハーンさんが登場。演奏前には自らマイクを持って、作品についての解説をしてくれた。天才と呼ばれながらも、ユダヤ人ゆえにナチスの妨害を受けて母国での活動を断念せざるを得なかったワイル。彼は33年にフランスへ渡り、その後35年にアメリカへと移住する。そのフランス時代とアメリカ時代のはざま、34年に書かれたのが交響曲2番。
 カハーンさんの家系もユダヤ系の移民で、渡米してきた祖父母の時代には一族がたいへん苦労したという話や、今は息子さんも音楽家として活動していてワイル作品も演奏していることなどを話してくれた。アメリカにおけるユダヤ系移民の歴史などもまじえた、わかりやすく丁寧な、時にユーモアもある解説に場内がしーんと静まり聞き入っていたのが印象的だった。本当はもっと詳しく内容を紹介したいのですが……えー、私の語学力では半分以下しか追いつけませんでした(泣)。がっくり。次はもうちょっと英語ができるようになってから来たいと思いました。もう遅いか(´・ω・`)。

 アメリカ移住前夜とはいえ、これまで耳にしてきたワイル作品のエッセンスもあちこちに感じることができた。故郷を離れて暮らさなければならない境遇での郷愁や、これから向かう新天地への思いも投影されているのだろうか。いろいろな要素が組み合わさった、ちょっと“ドイツ版ガーシュウィン”的な味わいもある不思議で面白い作品だった。確かに、この曲をふつうの演奏会に組み込むのは難しそう。初演以来の演奏というのもわかる気がする。ラッキーでした。

 アメリカに渡ってからのワイルは、たくさんのミュージカル作品やオペラ、ポピュラー・ソングを書いた。1950年、50歳の若さにしてニューヨークで亡くなるまで(思えば、とても若かったのだ)、生涯現役で曲を書き続けた。彼の仕事は、後のブロードウェイ・ミュージカルやハリウッドにも大きな影響を与えた。そして、アメリ音楽史を語る上で欠かせない“ルーツ・ミュージック”のひとつとして愛され続けている。そんな歴史の重みも実感させてくれたカハーン&ニューヨーク・フィルのコンビ。ワイルへのリスペクトがあふれ出るような、素晴らしい演奏だった。余談ですがカハーンさんが率いるLAチェンバー・オーケストラも、もともとハリウッド音楽の録音ミュージシャンたちを中心に結成された楽団だしね。縁、を感じる。

 休憩を挟んで、後半はガーシュウィンのピアノ協奏曲。カハーンさんは再び舞台中央に置かれたピアノの前に座っての、弾き振り。

 この作品はもう、ニューヨーク・フィルにとっては伝家の宝刀。まさに十八番。彼らにとってのシグネチャー・チューンだ。1925年におこなわれた世界初演はニューヨーク交響楽団(フィルのライバル楽団で、1928年にフィルに吸収合併された)で、その時の指揮者は米クラシック界の礎を築いたウォルター・ダムロッシュだった。ソリストとして、ガーシュウィン本人がピアノを弾いた。

 そういう曲だから頻繁に演っているのかなと思いきや、そうでもないらしい。最後に演奏されたのも、2011年大晦日コンサートだというし。しかし、ここぞの機会には世界初演のプライドを賭けて炸裂するキラー・チューンであることは間違いない。
 なんといっても、このオーケストラはスウィングがうまい。クラシックで、こんなによくスウィングするオーケストラが他にあるかしらと思う。しかも正統ジャズのビッグバンドとは違う、実にシックでノーブルなスウィングなのだ。たとえばシモン・ボリバル響の若者たちが、ベルリン・フィルよりも美しく正しく優雅にクラーベのリズムを奏でるのと同じことだ。かつてガーシュウィンが書いたアメリカの民族音楽としてのジャズの、あるべきかたちを見る思い。

 ちなみにこの曲は、WQXRのウィークリー・プログラム《The New York Philharmonic This Week》のテーマ曲としてもおなじみだ。このオープニング部分をテーマ曲に使ってサマになるオーケストラは、世界広しと言えどもNYフィルぐらいだろう。いくらガーシュウィンとはいえ、クラシック音楽の、しかもオーケストラ名を冠した番組のオープニングにスウィング・ジャズのフレーズが流れてくるのはあまりにもカッコよすぎる。

 この曲では、ディクテロウと同様に今シーズンで退団予定の首席トランペット奏者フィリップ・スミスが登場したのも嬉しかった。あのウィントン・マルサリスも「ニューヨーク・フィルには、フィル・スミスという超すげぇトランペッターがいる。僕なんか、かないません(´・ω・`)」と超リスペクトする世界的名手。残念ながら2月の日本ツアーにも参加していなかったし、もうオーケストラの中での姿は見られないかと思っていたのだが。元気なお顔を拝見できて何よりでした。この曲では今ひとつフツーの仕事を淡々とこなしている感じはありましたが、まぁ、縁起物ってことで。ちなみにフィル・スミスは、マイク・ラブをごっつくして眼光鋭くして燕尾服着せたみたいな感じの人です(だからパッと見、ちょっとこわい)。

 ラヴェルから始まり、そのラヴェルにニューヨークの音楽シーンを見せてあげたガーシュウィンで終わるプログラム。なんと美しい、私自身の旅の〆にもふさわしいプログラム。
 そういえばガーシュウィンは、独学オーケストレーションの限界に悩んでラヴェルに教えを請うたところ「あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はないでしょう」と断られた(つか、逆にほめられた)有名なエピソードもあったなぁ。ラヴェルがやんわり断ってくれたからこそ、今、この3人3様の作曲家をフィーチャーしたコンサートが実現したのだと思う(ちがうとおもいますが)。

 そんなことを考えながら聴いていると、今このホールを出たら、外は1920〜30年代のブロードウェイに変わっていたりして……なぁんてステキなことを妄想してしまう。
 そう。つまり、まるでウディ・アレン監督『ミッドナイト・イン・パリ』のニューヨーク版のようにね。ニューヨーク・フィル指揮者時代のマーラーがみっちり細かい文字で注釈を書きこんだスコアにイライラと毒づきながら、若きトスカニーニが溌剌とタクトを振る。客席には、ほろ酔い顔で肩を寄せ合うスコット&ジルダ・フィッツジェラルド夫妻。ホールの外の歩道を、クラシカルな自動車と馬車がせわしげに行き交っている……みたいな。まさしく、そんな光景が似合いそうなコンサートだった。

 アラン・ギルバート率いるニューヨーク・フィルにはどこか、いにしえのジャズ・エイジを思わせるときめきがある。彼が就任してからずっと。それはなぜなのだろう、といつも考えていた。生粋の(本人は時に“典型的な”という言葉を使ったりもする)ニューヨーカーであるギルバートは、最初はバーンスタインのような生粋アメリカン・サウンドの復活を期待されていたのかもしれない。けれど今、彼が率いるオーケストラは時おり、それよりも前の時代(つまり20、30、40年代…)に存在していたであろう“サムシング・イン・ジ・エア”を音楽の中に見せてくれる。それはキラキラときらめいていて、けれど時代を超越した威厳に満ちていて。言葉にするのは難しいけれど、あえて言葉にするならば《街の矜持》みたいなものを感じさせるのかな。それが、昔ながらのときめきにつながっているのかも。

 矜持とは、変わらないものへの誇り。変わらないことの強さ。
 マンハッタンの街も、どんなに発展しても骨格だけはずっと変わらない 
 エイブリー・フィッシャー・ホールのあるリンカーン・センターを出ると、目の前はブロードウェイへと続く道。そのまま通りを下っていくと、すぐにカーネギーホールがあって、やがてミュージカルの劇場街になる。あたりにはティン・パン・アレイも、ビートルズが全米デビューしたエドサリバン劇場もある。さらにずんずんダウンタウンへ向かって歩いて行けば、数え切れないほどのジャズメン(あるいはフォーク歌手、あるいはビートニクたち)を育んだグリニッジ・ヴィレッジ周辺へと辿り着く。逆にリンカーン・センターからブロードウェイを上へと行けばハーレムに至る。そういえば、そこからさらに先には作曲家アイヴスの自宅兼スタジオなどもあったというし。

 すべてが、ひとつの“道”を軸にしてつながっている。


この道を右にゆけば、ブロードウェイ。左にゆけばハーレムへと続く。ちなみに、かつてリンカーンセンターのあたりはNYのジャズメンたちの待ち合わせ場所だった。ハーレムやあちこちから集まってきて、一緒にヴィレッジのクラブやレコーディングへと向かったとか。音楽の磁場、感じますよ。

 ブロードウェイ伝いに街を歩けば、絵巻草紙のようにさまざまな音楽があらわれては消えてゆく。ジャズ、ゴスペル、ミュージカル音楽、フォーク、そしてストリート・ミュージシャンが奏でる世界中の民族音楽……。そして、その地続きにクラシック音楽もある。つまりそれが、ニューヨーク・フィルの奏でる“ニューヨーク・サウンド”ってことだ。

 そのことを自分の目と耳と足で確かめることができたから、この旅は自分の《修学旅行》と呼んでもいいんじゃないかと思った。

 ああ、まさに修学旅行だったなぁ。

 アランに始まって、グス太とか夜茄子とかグリ五郎さんとか……今いちばん大好きな音楽家たちをほぼ全員まとめて全部体験することのできた、本当に奇跡としか思えないラッキーな旅程だったけれど。いちばん最後の最後に観た、このコンサート。それが結果的に、この旅の《まとめ》みたいな内容だったことは意外でもあったし、なんだか運命的なものに導かれたような不思議な納得感もあった。カハーンさん、ありがとうございました。

 そして、愛しのアラン・ギルバート監督&ニューヨーク・フィルハーモニックのみなさま!この2月、3月のコンサート体験、いくら感謝しても足りません。音楽が好きでよかった、とこんなにも思った旅はありません。これからもずっと、私の音楽生活のメンターでいてください。そのために私もがんばって働こう!とアッパーウェストの青空をあおいで気持ちをあらたにいたしました。



そんなわけで。明日は帰国というのに、なぜかwチケット売場へ……。はぁ、今からもうドキドキする。



来シーズンも、夢と希望がもりだくさんだよ〜(きらっ☆)by監督。


 書きたいことはつらつらと、まだまだとりとめなくいっぱい浮かんでくるのですが。《8月最後の週が永遠にループする、夏休み日記をまとめ書き地獄》みたいな状態になっていて(笑)、そろそろさすがに飽きてきてしまいました。というか、楽しかった思い出を仕事の合間合間に書き留めている作業は、まぁ、牛の反芻みたいな感じで幸せではあるのだが、毎日毎日うっとり過去に思いをはせているのもいかがなものか。とも思うわけです。もう5月もなかばだし。そろそろブログも現実に戻らねば。なので、いったんここで旅の覚え書きは終わります。て、今日はほとんど原稿の下書きみたいなブログですいません。と言っても、私の原稿の下書きを見たことある人は誰もいないからわからないっすよね(笑)。

 でも、あまりにも収穫の多い旅だったので、自分でもきっちり振り返ってみないわけにはいかなかったし。まとめることで本当にいろんなことに気づくことができました。栄養になりました。ぐだぐだ話に辛抱強くおつきあいくださった方々、ありがとうございました!

 続きはいずれまた、頭の中でもちょっと整理してから。ということで。


●●●おまけ●●●

リンカーン・センター内には、パフォーミング・アートや音楽関係の資料だけを集めたニューヨーク公立図書館の分室があり。そこでの企画展や展示などは通りすがりの観光客も見ることができます。
今回、こんなものやってました。

ビートルズの米国上陸50周年を記念した企画展、
その名も《Ladies And Gentlemen.....THE BEATLES!》展!

初めて出演したアメリカのTV番組エド・サリバン・ショーでの、
彼らをエド・サリバンが紹介した時のフレーズ。
いやぁ、そのネーミング・センスだけでグッときちゃいます。

グラミー・ミュージアムとの提携企画。アメリカとビートルズをテーマに、米国内でのグッズやツアー資料とか書簡とか……。まぁ、そんなに広くない会場だし、そもそも無料だし、ほどほどに充実した展示でした。でも、なんたってかわいかったのは《1964年のアメリカのビートルマニアの女の子の部屋》の再現。