Less Than JOURNAL

女には向かない職業

MTT&SFS@Carnegie Hall via WQXR

 10月3、4日に行われた、カーネギー・ホール2018/19シーズンのオープニング・ナイト・コンサート。出演はマイケル・ティルソン・トーマス率いるサンフランシスコ交響楽団(簡単に書くとMTT&SFS、もっと簡略化するとMTTSFS笑)+ルネ・フレミングオードラ・マクドナルド。これはカーネギーのシーズン開幕公演であると同時に、今シーズンの目玉、この後ウィーン・フィル、ニューワールド・シンフォニーとの演奏会も予定されているMTTの“Perspective”シリーズのキックオフ公演でもあった。
 今回のプログラムはオープニング・ナイトにふさわしく、ブロードウェイの女王オードラ様と、米国オペラの名花にしてブロードウェイにも進出を果たしたルネ様がMTTの指揮のもと共演した、“ほぼ”ガーシュウィンとブロードウェイ。華々しくおめでたく、楽しくも格調高い、MTTならではのプレミアムなコンサートだった。

 

 「だった」なんて、あたかも見てきたように書いておりますが。実際には、現在、ニューヨークのクラシカル専門局WQXRがネット配信しているアーカイヴ音源を自宅で聴きながらブログを書いております。インターネットってすごい。アーカイヴはじき消えてしまうのでURLは載せませんが、ご興味ある方は現時点では間に合うのでぜひ。

 

 ガーシュウィンといえば、米国のオーケストラにとっては当然“米国音楽”というジャンルのルーツ・ミュージックになるわけだが。MTTの場合、それはさらに個人的なルーツに由来する人物のことも意味する。MTTの祖父はニューヨークにあったイディッシュ劇場の創設者で、ジョージ&アイラ・ガーシュウィンとも親しかった。当然、MTTも幼い頃から兄弟のことを知っていた。時は流れ、ガーシュウィン家とトーマス家は今なお家族ぐるみの親交が続いているという。MTTにとってのガーシュウィンは敬愛する作曲家である以前に“じーちゃんの友達”だったのだ。すげー、MTTすげー、すげー! スーパーセレブすぎる! かっこいいー!
 そんなわけで《ニューヨークのカーネギー・ホールでMTTがガーシュウィンを演奏する》というだけでもハンパなくレガシー度の高いイヴェントなのだが、だからといってMTT&SFSが「I♡NY」マークの土産物よろしくガーシュウィンとブロードウェイのスタンダードをダラダラ演奏するバカメリカ・プログラムをやるはずもない。

 プログラムは「キューバ序曲」に始まって「パリのアメリカ人」で終わる。このスタート&ゴール地点は非常にわかりやすい。が、たとえば「キューバ序曲」「サマータイム」ときてヴィラ・ロボスの「ブラジル風バッハ」に続いたり。中盤での歌姫競演コーナーのブロードウェイ・セットでは、ハーニック&ボック、ソンドハイム、ロジャーズという古き良き時代の巨匠たちの作品の間に、2005年にトニー賞を受賞したアダム・ゲッテルの作品をはさんでみたり(ちなみにゲッテルはソンドハイムの孫)。と、まぁ、そんな感じでいちいちロマンがあります。MTTらしい、しゃれたひとひねりが効いている。まるで物語を読むように綴られてゆく、“PERSPECTIVE(視点)”という名のシリーズにふさわしいプログラムだ。彼は以前もカーネギー米国音楽の現在にがっつりフォーカスした意欲的なシリーズ“American Mavericks”でもアーティスティック・ディレクターを務めている。今やもっとも信頼される米国人ベテラン指揮者のひとりであり、米国音楽の歴史に名を刻む一族のDNAを持つサラブレッドでもあるMTTのまなざしにあらためて唸りっぱなしのプログラム。 

 そして、そろそろ、いちばん大切な曲のことを書かねばなるまい。

 ちなみに、これ↓が当夜のセットリスト。

(追記:水口ミソッパさんのご指摘で気づいたけど、真ん中のソンドハイムのあたりのはルネ様のニューアルバム『Broadway』のプロモーション・コーナーみたいな感じになってたんですね。編曲もアルバム同様ロブ・フィッシャーだし) 

 終盤、MTTの粋なはからいに涙した。

Program:
Gershwin: Cuban Overture
Gershwin: "Summertime" from Porgy and Bess
Villa Lobos: Aria from Bachianas brasileiras No. 5 (arr. Mark Volkert)
Liszt: Mephisto Waltz No. 1
Bock/Harnick: "Vanilla Ice Cream" from She Loves Me
Guettel: "Fable" from The Light in the Piazza
Stephen Sondheim/Rodgers: "Children Will Listen" from Into the Woods / "You've Got To Be Carefully Taught" from South Pacific (arr. Rob Fisher; orch. Bruce Coughlin)
Nyro: “Save the Country” (arr. Michael Tilson Thomas; orch. Bruce Coughlin)
Gershwin: An American in Paris

 

 最後をしめくくる「パリのアメリカ人」の前にある“Nyro”という名前。最初に見たとき、この作曲家は誰だろうと思ったのだ。いや、違う。誰だろう、じゃないよ。


 まさかのローラ・ニーロ

 

 過去と現在を行き来しながら米国音楽の未来を描くプログラム。その終盤、大トリ前にMTTが用意したのは、まさかのローラ・ニーロ。彼女68年にリリースしたファースト・シングルで、名盤『ニューヨーク・テンダベリー』に収録された「セイヴ・ザ・カントリー」だった。

 

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 このコンサートでのいちばんのサプライズだった。

 ラジオ音源を聴く限り、この曲を演奏する前にMTTが自らマイクをとってローラ・ニーロの名を口にすると、客席は一瞬「えっ?」という沈黙の後、うぉーっという歓声に包まれていた……模様。MTTは、自身がいかにローラ・ニーロの曲に影響を受けてきたかも語った。彼自身の編曲による演奏は、クラシカルな白人オペラ歌手のルネ様とR&B〜ゴスペル・ソウルなオードラ様とのデュエットという形式も含めて、この曲のゴスペル的側面を強く意識しているように思えた。ただただ、ガーシュウィンやソンドハイムの名前と一緒にローラ・ニーロの名前があるだけで胸がときめく。大昔に同じニューヨークの街で生まれた曲たちと並ぶことによって、ローラ・ニーロの楽曲の“強さ”をあらためて思い知った。これは今、アメリカに響くべき歌、レガシーとして受け継がれてゆくべき曲のひとつなのだというMTTからのひそかなメッセージもこめられていたのかも。そんな気がした。まぁ、しかし、正直、かなりハードルの高い試みだったのか、変化球すぎたのか、演奏の出来としては今ひとつこなれていない、特に歌の方向性に関してはルネ様とオードラ様のコンセンサスが今ひとつうまくいっていなかった感じはちょっと残念で、まぁ、それはそれなんですけど、しょせんストリーミング厨なのでそこまで文句は言いますまい。でも、とにかく、この曲が2018年のカーネギー・ホールで、アメリカの歌のひとつとして演奏されたことの意義は深い。

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 「諸君、今、アメリカがすごいことになっているぞ」

 と教えてくれるのは、いつもカーネギー・ホールだった。と、200歳のばあちゃんみたいな口ぶりで書いてますけど。たぶん、そうだと思うんですよ。

 ドボルザークの『新世界より』が世界初演された1893年からずっと、いわゆるメジャーな“興行”をおこなう“箱”の仕事としての流行予測を続けてきているわけで、カーネギー・ホールはよくも悪くも時代を映す鏡あるいは瓦版みたいな存在なんだと思う。今ではフツーの貸しホールと化してしまったと嘆くオールド・ファンもいるけれど、それでもやっぱりカーネギーの主催する年間プログラムは毎年とても興味深いもので、それは今も、逆に受け入れる間口が広くなったがゆえの混沌さも含めて面白く、私にとっては“米国音楽白書”のような存在だ。
 とりわけ今シーズンはMTTのほかにも、すごい人がいるわけです。

 なんてったってクリス・シーリー!

 いやー、本当に驚いた。過去、フィリップ・グラスやデヴィッド・ラング、ブラッド・メルドーらが務めてきたリチャード・アンド・バーバラ・デブス・コンポーザーズ・チェア(米国は肩書きにパトロン名がつくので長ったらしくなるが、ようするにオーケストラや音楽祭でいうコンポーザーズ・イン・レジデンス的なもの)に俺たちのクリス・シーリーが指名される日が来るとはいったい誰が想像したでしょうか。シーリーがマッカーサー奨学金をもらった時よりも驚いた。

 思えば、そもそもパンチ・ブラザーズが結成されたのも、2007年3月にカーネギー・ホールでおこなわれたクリス・シーリーのノンサッチ移籍レコ発ソロ・コンサートがきっかけだった。
 「マーラー交響曲みたいな宇宙を、ブルーグラス・バンドの編成で」
 という天才少年のワケのわからない野望によって書かれた30分くらいある組曲のワールド・プレミア@カーネギーは絶賛半分&ドン引き半分。しかし、そのカオスな“宇宙”にノンサッチとカーネギー・ホールは米国音楽の未来を見たのだった(※注:4割くらい俺の妄想)。

 あれから11年。

 Mr.コンポーザーズ・チェアことシーリーは今シーズン、カーネギー・ホールで少なくとも4回の公演を予定している。今月23日にはサラ・ジャロウズ&イーファ・オドノヴァン(サラ・ワトキンス以外のI'M WITH HERともいう)を迎えて、ホストを務めるラジオ番組“LIVE FROM HERE”で披露してきたオリジナル・ソングを歌う“The Song Of The Week Show”、来月はバッハ無伴奏や新曲初演を含むソロ・パフォーマンス、3月にはクリス・シーリー&フレンズ名義で“My Love Is In America”と題した企画公演、そして最後はニッケル・クリークとパンチ・ブラザーズという「ひとり対バン(いや、“自分以外は対バン”が正しいのか、“ひとりのビッグショー”でもいいのか)」で大団円を迎える予定。いや、もう、本当に、真面目な話、シーリーよ、どこまで行くんだ。

 

↓↓↓↓今ここ↓↓↓↓

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 カーネギー・ホール公式サイト、2018/2019シーズンの紹介ページ。MTT、ユジャ、シーリー。いやー、本当に、MTTとユジャはおなじみのコンビだけど、シーリーを加えた3人が並ぶ日が来るなんて。このページを見るたびに、甘酸っぱい歓喜がこみあげてくる。胸熱。もう、ここまできたら、死ぬまでに一度でいいからこの3人が一緒にステージに立って合奏するところを見てみたい。何の曲をやるのか想像つかないが。

 

 私が「アメリカのクラシックが面白い」というのは、別に音がでかいとか下品だとかわかりやすいとか、カラやんより難しくなさそうとか、そういうことではなくて、つまり、ここまでダラダラと書いた、こういうことにつながっているのですが。いつも言葉が足りなくて、いくら書いても素人のたわごとにしかならないのが悔しい。でもまぁ、いつか、今この時代が米国音楽にとってとても大事な進化の季節だったことを誰かがわかりやすく証明してくれるかもしれない。しかし、証明されようがされまいが、自分が今、このすごい時代をリアルタイムで体験できていることは本当にシアワセだと思う。実際にカーネギーホールの客席にいるわけではなくても、同じ時を刻む地球の上に生きていることを想像しただけでワクワクする。これを幸運と呼ばずして何と呼ぶ。

 そして、2006年8月のブルーノート東京で、もしかしたら現代のガーシュウィンになるかもしれないクリス・シーリーさんに「ナイス・シャツ!」と指さしてTシャツをほめてもらった(メンバー中シーリーしか気に入ってなさそうなミント・ジュレップTシャツですがw)私の栄光は子孫代々に語り継がれてもよいのではないか。よくないか。

 

★2014年、ビリー・チャイルズがさまざまなジャンルのミュージシャンとコラボしたトリビュート・アルバム。このアルバムではショーン・コルヴィン&クリス・ボッティが「セイヴ・ザ・カントリー」に参加しているのだが、1曲目はヨーヨー・マとルネ様による「ニューヨーク・テンダベリー」。これがもう、素晴らしい。原曲が内包する室内楽的な世界を、クラシカルなマナーで再構築。個人的には、この1曲を聴くためだけに買っても惜しくないアルバム。

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