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女には向かない職業

METライブビューイング:サンサーンス《サムソンとデリラ》

METライブビューイング2018-2019
サン=サーンスサムソンとデリラ

■指揮:Sirマーク・エルダー
■演出:ダルコ・トレズニヤック

サムソン:ロベルト・アラーニャ
デリラ:エリーナ・ガランチャ
大祭司:ロラン・ナウリ
ヘブライの長老:ディミトリ・ベロセルスキ
ガザ太守アビメレク:イルフォン・アズィゾフ

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 ネゼっちこと、ネゼ・セガンが音楽監督に就任した今シーズンのメトロポリタン・オペラ。最近は新演出と現代くらいしか行かなくなってしまった映画館も、今シーズンはご祝儀がわりに全制覇したいものだと思いつつ、結局1回目の《アイーダ》すっ飛ばして新演出『サムソンとデリラ』からスタート。

 序曲や、2幕の「あなたの声に私の心も開く」の二重唱、3幕のバレエ音楽「バッカナール」はコンサートでも聴いたことがあるけど、オペラ作品として全編の舞台を観るのは今回が初めて。サン・サーンスのオペラは美メロなだけでなく、舞台作品としてものすごく細やかな演出が譜面の中にあるのだと知った。舞台化する人はそこにどれだけ気づいて、どれだけビジュアライズできるかという面白さがあるのだろう。フランスオペラも、もっとたくさん観たくなった。

 

 ブロードウェイのスター演出家による新演出シリーズは今やすっかり恒例となったが、今回はダルコ・トレズニヤックを起用。これがメト・デビューとなるトレズニヤックは2014年のトニー賞で作品賞、監督賞など多数部門に輝いた『紳士のための愛と殺人の手引き』の演出家として知られているが、LAオペラのドミンゴ版『マクベス』などオペラの演出もけっこう手がけているらしい。美術のアレクサンダー・ドッジ、衣装のリンダ・チョーも『紳士のための〜』チームからの抜擢(未確認だが他にもいるかも)。

 幕間の演出家インタビューでは、今回の舞台はグロリア・スワンソンのポートレイトにインスパイアされたと言って、ちょうど壁にかかっていた(このためにかけたのか、メトにずっとあったのかは不明)エドワード・スタイケン撮影による有名な顔アップの写真を指さしていた。黒いレース越しにじっとこちらを眺めるスワンソンの神秘的なまなざしをとらえたスタイケンの代表作で、舞台前面に使われていた薄い……紗幕っていうんですかね、それもたしかにスワンソンのレースみたいな感じでした。時代的には紀元前の旧約聖書の話だし、初演は1877年だからもともとはスワンソンと接点はないのだが、言われてみれば舞台セットには20年代アールデコな雰囲気や、サイレント映画に登場する歴史ロマン映画みたいな雰囲気もある。1部での城壁や塔の無骨で威圧感のある大きさとか、2部でのデリラの居室とか、3部でのバッカナールの舞台となる謎の巨大大仏みたいな像(笑)がある大広間とか。とにかく舞台美術も照明も衣装も、歌手たちが歌いやすかったかどうかはわからないけど、どの場面もとても美しかった。スペクタクルもここぞの場面だけにとどめ(笑)、細かくゴチャゴチャ装置を仕込んだ、段取りが面倒くさそうな舞台ではなく、100年前からずっとそこにあるかのように落ち着いた世界感なのもよかった。音楽への集中を邪魔しない舞台演出、いちばん大事。さらには、デリラのカリスマ美女っぷりは映画『サンセット大通り』の中でも回顧される古き良きハリウッド大女優的な神秘性に通じるものがあったし。言われてみれば、だけど、確かになんとなく納得のスワンソン。《スワンソンをミューズとしたグランド・オペラ》という共通認識というのは、それぞれの立場からそれぞれ想像力が広がりそうで興味深い。

 

 そして、ロベルト・アラーニャエリーナ・ガランチャ
 このコンビといえば2009/10シーズン、リチャード・エアによる新演出版が空前の大ヒットを記録した『カルメン』のゴールデン・カップル。官能的なバレエで幕を開け、あきらかに性的なメタファー満載のオトナっぽい『カルメン』で、ドン・ホセを翻弄したあげくポイ捨てしてリッチセレブ闘牛士に乗りかえた妖艶ビッチを演じたガランチャ。そして、かわいいカノジョがいながらも妖艶ビッチによろめいて貢いだあげくフラれてストーカー君になり非業の最期を遂げるスーパーだめんずを見事に演じて、あまりにも見事すぎてその後しばらくホントにだめんずにしか見えなくなってしまったロベルト・アラーニャ

 

 もはや懐かしいわ。カルメン

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 というわけで、お待たせいたしました。世界が熱狂した、あのカップ(←役柄の話です。念のため)がメトに帰ってまいりました!よ!

 

 旧約聖書に題材を得た『サムソンとデリラ』。怪力サムソンは仲間の尊敬を集める英雄でありながら、敵方の仕掛けた美人局デリラによろめいたところから……て、もう、それだけ書くと完全にドン・ホセです。デリラは奔放で情熱的な美女で、恋にはウブな英雄サムソンを誘惑して陥れるが、悪女に見えても心の奥には愛に生きるいじらしい女心が……て、カルメンですな。というわけで、ゴールデン・コンビがキャラかぶりすぎのカップルを演じるオペラで共演という、まぁ、それはつまりどれだけ『カルメン』コンビが愛されてるかの証ですよね。

 

予告編。

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 まず、予告編からしてもわかるように、ガランチャ様の美しいこと。そしてやっぱり、ワルそうなこと(笑)。

 音楽家の容姿についての大きなお世話、美人○○みたいな看板は大嫌いですが。DVD時代以降は特に、ネト子を例にあげるまでもなく、“華”も音楽の一部なのだと納得させる新時代ならではのスター歌手たちの登場が相次いだ。単に顔がキレイとかスタイルがいいとかいう話ではなく、存在感の艶やかさ。そういうのは、やっぱり歌の美しさや力強い自信と無関係ではない。そういうこともひっくるめて、とにかくガランチャが美しかった。かっこよかった。
 第一幕の最後、舞台中央の大階段からデリラ様が降臨する場面なんか、ホントに「えっ、ビヨンセ!?」と思ってしまった。大スペクタクル系ステージ・セットで、大勢のバックダンサーを従えた“アラビアン・ナイト”風の演出で歌い踊るビヨンセ……とか、全然ありそうではないですか。女神を崇めるようにひざまずく女たちを従えて、すくっと立つ姿。美しかった。まじで、ビヨンセのコンサートのオープニングみたいだった。それはたぶん、今回の衣装のゴージャスさのおかげもあるのだろう。衣装を担当したチョーは『紳士のための〜』では、彼女自身もトニー賞最優秀衣装賞を受賞している。いわゆる歴史大河ロマン路線は踏み外さず、でも、どこか現代と接点のある登場人物たちの衣装は素晴らしく、映像で見ているだけでも眼福! そして、なかでもデリラの衣装の素晴らしさは破格。ガランチャの美しさだけでなく、歌手としての資質も際立たせるようなゴージュスさだった。確かに時代劇の衣装なのに、ビジューのヘッドドレスやエジプト風シルエットのドレスを含むエスニックなテイストといい、ドレープたっぷりの谷間見せといい、スリットからチラリのぞく太ももといい……ヒストリカルにしてモダン。そのまんまビヨンセがPVとかヴォーグ誌のグラビアで着ていてもおかしくない。彼女が得意なクレオパトラとかアフリカの女王とか、ああいうストロング路線のイメージで。で、そんな衣装をデリラそのものの貫禄と優雅さで堂々と着こなしているガランチャ、大きな愛で優しくつつみこむようなメゾ・ソプラノの歌声ともばっちり合っている。素敵すぎてドキドキしたわー。物語に沿いながらもモードを意識した装いの感覚について、現在のオペラがブロードウェイに学ぶところはけっこうあるんじゃないかと思った。

 

 そして。アラーニャ様。
 これまで私はアラーニャを見るたびに志垣太郎を思い出してきたのだった。が、最近、ちょっとあおい輝彦にも見える。なぜだ。あのニヤけた色男感が、どうも、昭和の銀幕アイドルみたいだしー。以前、バブルの頃にアラーニャに♡だった先輩から「その頃は本当にアイドルみたいだったのよ」と叱られたが、よくよく考えたらバブルの頃にアイドルってことは昭和のアイドル説は当たらずとも遠からずではないか。

で、歌も、歳とってからは二枚目系よりだめんず系なほうが似合うようになった、というか。て、あの、全然褒めてないと思われるかもしれませんが、だめんずアラーニャも嫌いじゃない。なんか、いい意味でプレイボーイの達観というか、脱力感が出てきて、それだけにここぞで発揮する「キラッ☆」というオーラが妙に色っぽく感じたりするし。でも、そう言いつつ、最近のアラーニャは二枚目キャラのキレが戻ってきたのでしょうか。年齢を重ねて、お父さんにもなり、以前とは違った懐の深さとか、若い頃とは別の意味での色っぽさがある感じがする。今回、特に終幕での絶唱も全然だめんずキャラではなく、キレッキレの危険な英雄メンズキャラ(意味不明)。ただし、安心してください、それだけではないんです。ちゃんと、私の好きな近年のアラーニャも……つまり、ちょっとエッチなだめんずキャラも堪能させてくれます。正直、二枚目とだめんずの比率は3:7くらいですかね。いい意味で。そもそも、この作品自体が最初と最後だけ文句なし二枚目設定という2:8くらいの話だし。

 

ドレスリハーサルでの、ファイナル・シーン。涙。

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 09年のエア版『カルメン』初演では、冒頭から明らかにセックスのメタファーと思われるシークエンスがあったり、ガランチャとアラーニャのセクシー演技が、絶賛だけではなく保守的なファンの間では物議をかもしたりもして、とにかく、ものすごい話題になりました。で、今回も、あのゴールデン・コンビが帰ってきました!とわざわざ謳っているくらいだから、まぁ、今回もそれなりに官能的な場面は多いのだろうなとは思っておりましたが。

 これが、あなた……。

  「あなたの声に私の心も開く」の二重唱。

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 ナナメ後ろからそーっとデリラを眺めるサムソンのエロ目線。

 リアルすぎる、興奮の膝立ちにじり寄り。

 衣擦れの音が聞こえてくるような、いやよいやよも好きのうち。

 おっ、おっぱ……わっ、わしづかみ!?
(以下自粛)

 

 こんなにも官能的な二重唱。サン=サーンスは、乱れる息づかいや唇を重ねるリズムまで譜面の中にしたためていたのかとドキドキが止まりませんでした。

 あの『カルメン』から続いてきた道が、ここまで来た。演出のことだけではなく、エロいとかそういうことだけでもなく、かといって、純粋に芸術作品としての完成度の高さだけでなく。オペラが観客に対してミュージカルや映画とは違うアプローチでエンターテインするための表現を、ガランチャもアラーニャもそれぞれ『カルメン』以降に学んできた積み重ねがあって、その片鱗が見えた気がした。

 ああいうカッコよさとかセクシーさ、美しさは、音楽のジャンルを問わず人々が惹きつけられるものだと思う。オペラなんか古くさい芸能だから興味がないと思っている人が、もし何かのきっかけで『サムソンとデリラ』を見たら、一瞬にして覚醒してオペラ狂いになるとまでは思わないけれど、それでも、閉ざされた扉の隙間からちょっとだけ光が見えるくらいの「あれ?」という絶対的な“異質感”は感じとるに違いない。

 オペラは至高の総合芸術だ、とは言うけれど。それはいろんな要素が奇跡的にうまく結びついた場合の結果であって、なかなか本当の意味で音楽としても演劇としても美術としても舞踏としても全部最高というのは難しいことではある。が、3幕での酒宴バッカナールでのメト・ダンサー達の群舞の美しさに目を奪われている間は、素晴らしいレベルの舞踏を見ているときめきがあるし、ビヨンセみたいなセクシードレスで歌うシーンではまた違うときめきがあるし、弓を引く動きや心の揺れを表現する演技といったものが、オーケストラの演奏と見事にシンクするような細やかな演出には演劇としての面白さがある。やっぱりオペラって面白いなー。

 

 ちなみに、昨年春におこわなれたメトロポリタン歌劇場移設50周年記念ガラでもガランチャは「あなたの声に私の心も開く」を歌っている。指揮は、今年から音楽監督に就任したネゼ・セガン。

 

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 そういえば、今シーズンのMETライブ・ビューイングのプログラム(日本語版)は、裏表紙がネゼっち!もう、額縁に入れて壁に飾りたいくらい。プラウド・オブ・ユー。

 

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 ひゅー。ひゅー。かっこいいーー。仁王立ちーー。

 

 幕間インタビューでは合唱指揮のパランボ師匠も、ネゼ自身が合唱指揮がバックグラウンドにあるし、彼との仕事は素晴らしい、メトに来てくれてとても楽しみだと鬼褒めしてた。メトは引っ越し公演だけでなく、今後はオーケストラとしての海外ツアーも考えているようなので、たぶんほどなく日本にも来てくれることだろう。

 なお、プログラム巻頭記事もネゼっち大特集。特に新鮮なことは書かれていないけど感無量。ネゼ家のネコちゃんがスコアの横で寝てる写真♡まで小さく載っている。あと、本人インタビューでも訳が「ネコちゃん」になっているところがあって、たぶんネゼっちは「ネコちゃん」って言いそう、と思って感動しました。そういえば、ネゼ・セガンのメト・デビューはまさにガランチャ&アラーニャのエア版『カルメン』だったな。あれからまだ10年も経っていないのだ。感無量。爆涙。

 

★おまけ★この映像カッコよくて大好き。ニューヨークタイムズの映像ブログ、幕が開くまでのメトロポリタン歌劇場バックステージ・ツアー。

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