ホイットニー・ヒューストン
ホイットニー・ヒューストンの訃報。享年48。
米時間2月11日午後、滞在中のLAビバリー・ヒルトン・ホテルで亡くなったとの報道。翌12日に行われる第54回グラミー賞に先駆け、この夜、同ホテルで開催されるクライヴ・デイヴィス主催のプレ-グラミー・パーティに出席することになっていたそうだ。
ちょうど昨日、別のパーティに出席した彼女の様子をちょっぴり心配するネット記事の見出しが目にとまり、気になっていたところだった。近年、ホイットニーの記事は読んでいて胸が痛くなるような内容ばかりなので、なんとなく目をそらしてしまっていた。ちゃんと読んでおけばよかった。
このニュースを耳にして、真っ先に思い出したのは2010年の来日公演。
さいたまスーパーアリーナで観た、13年ぶりの来日ステージ。
正直、ボロボロだった。びっくりするほどに。
前年には約7年ぶりのアルバム『I Look To You』を発売。先行シングル、アルバム共に92年のサウンドトラック盤『ボディガード』以来の初登場ナンバーワンを獲得。文句なしの貫録で“女王復活”を見せつけた。
その年のアメリカン・ミュージック・アウォードにスペシャル・ゲストとして登場した彼女はまばゆいほど美しく、カッコよかった。80年代以降の米国音楽ヒストリーの中で、ホイットニー・ヒューストンがどれだけ特別な存在なのかをあらためて思い知らされた。
ただ、新作の大ヒットに続いて発表されたワールド・ツアーは、もともと米国内でも時期尚早だろうと言われていた。CDのほうは、クライヴ・デイヴィスが実に周到に慎重に演出した“復活劇”が大成功した。だが、ライブとなると、イベントで1曲歌う間にも声が出なくなるほどで、まだまだ本格復帰までには時間がかかるのはテレビを観ていてもわかった。
そんなわけで、不安ではあった。が、たぶんホイットニー側はもっと不安だったのだろう。いかにも“リハーサル”感ありありの、日本を含むアジア諸国からワールド・ツアーをスタートさせたのだから。
コンサートのコンセプト自体は、まさに華麗なるカムバック・ショウ。
90年代初め、絶頂期のホイットニーをイメージさせる華々しいステージだった。大編成のバックバンドを従え、派手なセットの中でおなじみの大ヒット曲を次々と繰り出す……。だが、肝心の彼女自身がスケールの大きな舞台についてゆけない。スタミナ不足、声も満足に出ない、激しい動きで足がもつれる。何度も衣装を着替え、バックコーラスのソロコーナーを作ったり、バンドの演奏が頑張って盛り上げることで何とかカタチになっている状態。クライマックスの「オールウェイズ・ラヴ・ユー」でさえ、例の♪アンダ〜〜の前に「ちょっと待ってね、私も休ませてよー」と冗談を交えてひと休み。やっとこさで声を絞り出して歌う姿は、本当に見ていて胸が苦しくなった。
悪い意味での想像通り、というか。
エンターテインメントとしては、さんざんな出来だった。
見ていて苦しくなるような場面も多かった。けれど、なぜか不思議とイヤな気分にはならなかった。むしろ、それほど熱心なファンではなかったとはいえ、ずっと同じ時代を生きてきたホイットニーのことは、これからもずっと、絶対キライになれないなぁ……と、そんなことを思う自分がいた。その日の出来を残念に思ったのは事実だけれど、次のコンサートがもっとよくなっているといいな……と素直な気持ちで期待した。
言っておくが、ふだんの私は心の狭い人間だ。ひどいコンサートを見れば、素直に怒る。
が、しかし。
そこには何か、歌がうまいとかヘタとかいうのを超えたものがあった。
ホイットニーという“個”の存在を超えた音楽の魔力の生々しさを見たような思いすらあった。うーん、うまく説明ができないけれど。とにかく、この時に味わった、言葉にならない不思議な余韻はずーっと心に残っていた。
そして今日に至るまで、ずっと自分の中でくすぶっていたのだ。
なぜ、絶対ムリに決まってるようなステージをやろうとしたのだろう?
そのことは、ずっと不思議に思っていた。
クライヴ・デイヴィスは、すでに彼女の声が衰えていることも見越した上で“オトナの音楽”路線へと向かわせようとしていたようにも思える。今までのようには歌えないのだとすれば、少しずつ路線変更をしていけばいい。これから音楽を続けていくには、今の彼女にとって最良の表現方法を見つけてゆく必要があったはずだ。
けれどステージ上の彼女は、まるで自分が20代の頃にもどったかのようにはしゃいでいた。どう見ても合格点とは言いがたい出来だったのに、アジア・ツアー中のホイットニーは終始ゴキゲンだったという。韓国公演の時には、ホテルのロビーに詰めかけた追っかけファンたちの前で突如ナマ歌まで披露した映像も残っている。
あれでよかったのだろうか。彼女は。本当に?
そう思っていた。
けれど今日、彼女の訃報を聞いた時にようやく気づいた。
あの来日公演のステージで、彼女は本当の“ホイットニー・ヒューストン”に戻ろうとしていたのかもしれない。
アルコール依存、ドラッグ中毒、ボビー・ブラウンとの離婚、それら諸々のゴタゴタを原因とする乱行奇行、麻薬不法所持での逮捕……タブロイド紙の1面にショッキングな姿をさらし続けるスキャンダル女王がホイットニー・ヒューストンであるはずがない。
我々だってそう思うのだから。
ましてや本人は、だ。
1985年、彼女はまさにポップ界のプリンセスだった。
由緒正しすぎる家系に、清く正しく七光りの輝きをまとったゴールデン・ガール。
かつて日本では“歌がうまい”の代名詞が、ホイットニー・ヒューストンだった。でも実は、彼女の歌声は常に少しフラットするビミョーなところがあって。教科書的な“うまさ”とはちょっと違っていた。でも私は、そういうところがすごく好きだった。正確無比の師範代みたいに退屈な巧さではなくて、いかにも歌唱力バツグン風の雰囲気にちょっと人間味が加わる歌声。それが何とも言えないポップ感を醸し出していて、よかった。
ある意味、日本で言うところの“実力派アイドル”のイメージを作られていたようなところは、デビュー当時から少なからずあって。まぁ、アイドル好きとしては、それもまた魅力だったが。その些細なズレ具合が、いつしか彼女自身にとっては理想と現実のズレになったのかもしれないし。自身を束縛することになっていたのかもしれない。
85年のデビュー以来、彼女が残したオリジナル・アルバムはわずか7枚。サウンドトラックが3枚。
全盛期のイメージが強すぎて、あまりにも活動休止期間が長かったことを忘れがちだったりするのだが。それにしても、やっぱり意外だ。しかし、それなのに2010年には“Most-awarded female act of all time”としてギネス認定されている。グラミー6回を始め、全世界で415アワードを獲得しているそうだ。知名度に対して、作品数がやっぱり少なすぎる。何かにつけて、どこかしらアンバランスな感じがついて回る。
でも、そんなホイットニー・ヒューストンが好きだった。
アンバランス、あるいは意外性。
デビュー前に初めてテレビに出た頃の映像を見ると、彼女はまるで「Seventeen」誌に出てくるプロム・ドレスの広告みたいだ。スタイル抜群で、いかにも品行方正。そんな典型的ティーンズモデル風の女の子が、パワフルなソウル・ナンバーを歌う。その意外性が、実はシシー・ヒューストンの娘であり、名付け親はアレサ・フランクリン……という由緒正しさに裏付けられている。彼女は、正真正銘、奇跡の“プリンセス”だった。
ものすごくスターになりたかったのに、実際ものすごい大スターになったとたん、その地位を窮屈だ何だと言い出すスターは多い。まぁ、それがふつうだ。でも、たぶんホイットニーは逆だったんだろうな。彼女は、いわゆる全盛期の状況にある自分がデフォルトというか。それがいちばん自然体なのだ。そうでない自分というのは、何か違う人間を生きているような違和感みたいな、そんな感じがあったような……。昔から、そんな風に思うことがよくあった。今どきの若い“お騒がせセレブ”とは、ちょっと別モノなのだ。もしかしたら、いつしか『ボディガード』のヒロインと自分が重なってしまったのかな。
行くべき道を最初から作られていたことは、今となっては幸か不幸かわからない。
「この道をまっすぐ、どこまでも歩いてゆきなさい」と。
それが幸せな人生を約束された道だとわかっていたのに、気がついたら知らない細道に迷い込んでしまっていた。もういちど、自分が最初に歩いていた大通りに戻りたい。それだけを思って、みっともなく転んだり、小さな女の子のように泣いたりしながらも必死で歩こうとしている女性――しかも、自分と同世代の――を見たら、嫌いになるはずがない。
91年のスーパーボウルで、ホイットニーは国歌を独唱した。この時のホイットニーは、何がすごいってジャージ姿なのだ。当時の流行もあったとはいえ、ジャージにハチマキ。一世一代の国歌斉唱、今どきのディーバたちならギンギラギンに着飾って出てくるところだろうに。これがまた、大スターであることをありのままに受け止めている彼女らしくてカッコよかった。
この歌唱はどこまでも伸びやかで、溌溂として、本当に素晴しい。湾岸戦争が米国内にも暗い影を落としていた時代に、彼女の明るく無邪気な歌声は太陽のように降り注いだ。あまりにも素晴しいので、後にシングルとしてリリースされた。そして、史上初の「ポップ・チャートのトップ20入り国歌」という記録を作った。この記録は今も破られていない。
好きな曲はたくさんあるのだけれど。彼女の持つ天性の明るい力強さや、時に無防備なほどの無邪気さ、いつまでも少女のような笑顔を思った時に浮かんできたのは、スーパーボウルでの姿だった。ああいう感じが、私の中での90年代の彼女のイメージなのかな。
ひとは誰でも、いつどんな状況で死ぬかはわからない。その亡くなりかたについて、わかったように「あのひとらしい」なんてことは絶対に言ってはいけない。
けれど、それでも、ホイットニーの訃報には運命的なものを感じずにはいられない。
彼女が亡くなったビバリー・ヒルトンは、西海岸のショウビズ界を象徴する社交場だ。かつてはグラミー賞の会場でもあった、数々の神話の舞台となったハリウッドの聖地。そのビバリー・ヒルトンで、彼女を見出したクライヴ・デイヴィスのパーティに出席するはずだった日に。しかも、翌日はグラミー授賞式。あまりにも運命的な状況だ。
最後のアルバムとなった『I Look To You』。ジャケットのホイットニーの表情は、成熟した大人の静かな微笑……という風にも見える。けれど、どこか悲しそうだ。失ったものを優しく見つめるような表情は、苦しい晩年を語りかけてくるようで。見つめていると淋しくなる。
なんだか、とりとめのない思い出話になってしまいましたが。
今はただ、彼女の魂が平安でありますようにと祈るばかりです。
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