Less Than JOURNAL

女には向かない職業

『裏切りのサーカス(笑)』/軽音楽にまつわるメモ

 さっそく観てきた。


Tinker Tailor Soldier Spy


 若い頃は、ロンドンが何だか苦手だった。どんよりした空も、古ぼけた建物も、ほにょりとしたイギリス英語の響きも。しかし、年齢と共にだんだん好きになってきた。なんというか、落ち着く。ほどほど高い建物から見下ろす町並みの独特な灰色具合とか、よく磨かれているのに経年で曇ったままの窓ガラスとか。長く滞在したこともないのでパッと見の印象しかないけれど、ニューヨーク+パリ÷2=ロンドンみたいなイメージ。

 そんな私にとって、『裏切りのサーカス(笑)』とかいうヘンチクリンな題名をつけられた映画は本当にうれしい作品だ。映像美そのものにヒーリング効果がある。癒され度から考えると、スパイ映画版『フォロー・ミー』と呼んでもいい(最上級賛辞)。背広老人映画マニアとしては、背広老人版『ローマの休日』と呼んでもさしつかえないほどオシャレ番長度も高い。ていうか、そもそも総合的に本当に何もかも素晴しい作品だ。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』愛読者としても、わずか2時間でこれだけの世界観を再構築した脚色の見事さに圧倒される。ル・カレ原作の映画はどれも好きだけど、これはアレック・ギネス主演のBBCドラマ版『ティンカー、テイラー〜』と並ぶル・カレ映画の最高傑作だと思う。

 もちろん、ストーリーとしてざっくりと省略された部分も多いけれど、そのぶん行間にしか描かれていなかった情緒の部分が丁寧に映像化されている。トーマス・アルフレッドソン監督を起用したプロデューサーの慧眼にひれ伏す。こんなややこしい話なのに、これが初の英語圏作品なのだそう。監督すごすぎる。それにしても『ぼくのエリ 200歳の少女(笑)』に続いて『裏切りのサーカス(笑)』……監督かわいそすぎる。次こそは、ステキな邦題がつきますように(笑)。

 確かに、ゲイリー・オールドマンのスマイリーはカッコよすぎる。しかし、カッコよすぎるので許す! ただ、ひとつだけ。スマイリーがネクタイの裏地でメガネを拭く場面がなかったのが残念だ。個人的にとても残念だ。しかし、映画でのスマイリーはメガネが脂ぎってギトギトしているタイプじゃないので……まぁ、それも許す!
 それにしても『シド・アンド・ナンシー』でのシド・ビシャスが、ジョージ・スマイリーを演じる時代が来るとはね。これが21世紀ってものだな。すごいね。
 そういえばジョン・ライドンは、ロンドン・オリンピック開会式でのピストルズ再結成を一蹴したらしいね。さすがだね。

 映画について書き始めたらきりがない。もう、ホテルの看板ひとつとっても山ほど書きたいことがあるのだ。もういちどくらい観に行きたいので、その時にまた書けたら書きたいと思っているのだけれど。

 劇中での音楽について、とりいそぎ書きとめておく。

 オリジナル・スコアはアルベルト・イグレシアス。『オール・アバウト・マイ・マザー』などペドロ・アルモドバル監督による数々の名作に名を連ねているスペインの作曲家だ。『ナイロビの蜂』の音楽も担当しているので、ル・カレ師匠もお気に入りなのかもしれない。重厚な中にも控えめな色気があって、作品の邪魔はしないけれど美しい色彩感があって、ル・カレ作品の風格にぴったりのBGMを提供している。

 で、個人的にすごく面白かったのは、挿入される“軽音楽”の絶妙さ。
 それとわかる楽曲が登場する場面はごくわずかなのだが、その使い方がホントに巧い。わかりやすく時代感を出すためにダラダラと当時の曲を流す、みたいなことはしない。けれど、その曲がどんな風に知られているかの意味合いとか、歌詞の持つ意味とか……そういうところまで考え抜かれて選曲されている。曲のひとつひとつが、まるで有名俳優がチラリとカメオ出演するかのような存在感をもって登場する。

 ちなみに、物語は1972〜3年くらいの設定。



※以下、軽度のネタバレあり。



■Blood,Sweat&Tears『Spinning Wheel』(1969年)

■Sammy Davis Jr.『Spinning Wheel』

※追記※ すっかり間違えておりました。ご指摘をいただき、BS&Tではなくサミー・デイヴィスのヴァージョンだったことに気がつきました。お詫びして訂正をm(_ _)m。ちなみにこの曲が流れるのは、後述の「The Second Best Secret Agent In The Whole World」が出てくる後のシーンなので、サミーつながりなのか!あえてサミーなのかも。おもしろい。

 劇中、唯一といっていい“ロック音楽”が活躍する場面(笑)。
 英国工作員リッキー・ターがイスタンブールに赴き、恋に落ちるソ連の美人工作員イリーナと出会うきっかけに至るところで流れる。そこまでの重厚な格調高い英国風の空気から一転、エキゾチックな活気に溢れる町やエロいナイト・クラブの酒池肉林に響き渡る雄々しいブラス・ロック。いや、やっぱりロックって汗くさい音楽だわ。リッキー・ターは登場人物の中で唯一“ロックなキャラ”なので、リッキーが主役となる場面でロック音楽が出てくるのはわかりやすい。
 “スピニング・ホイール”という歌詞の意味あいも、ちょっと物語とクロスしている。あからさまではないが、あながちテキトーに選んだ曲でもないな、という好感。


■George Formby『Mr.Wu's a Window Cleaner Now』(1939)

 Formbyは、英国では国民的人気のウクレレバンジョー歌手/コメディアン(1904-1961)。この曲は彼の大ヒット曲「THe Window Cleaner(When I'm Cleaning Window)」(1936年)の続編というか、セルフ・アンサー・ソングだ。
 スマイリーの命令で諜報部の資料室から書類を持ち出そうとしているピーター・ギラム、彼を手助けする工作のために自動車修理工場で待機するメンデル警部、そして諜報部への電話をすべて傍受している電話交換手のおねえさま方……という、同じ時刻における3つの場所での出来事。で、その間ラジオから流れているのが、この曲。リクエスト番組ならではの懐かしい曲が……という設定。劇中もっともハラハラする場面のBGMが、こんな軽快でとぼけたチャールストン・ナンバーってとこが最高。ナイス・ユーモア。代表曲ではなく、その二番煎じ曲(といっても、これも大ヒット曲なのだが)ってとこもベタすぎず絶妙。歌詞はわからないけれど、ピーターの仕事はなんとなく“Cleaner”っぽいし(笑)。


■Sammy Davis Jr.『The Second Best Secret Agent In The Whole World』(1965)

 原作にはない回想シーンで、《サーカス》のクリスマス・パーティに集まった職員たちが皆でこの曲をレコードに合わせて大合唱する。この映画でいちばん笑える、お楽しみ場面。なおかつ、かなり泣ける場面でもある。ル・カレ師匠も、自ら考えた“長年サーカスに貢献したご褒美でパーティに呼んでもらったゲイの図書館員”というややこしいキャラ(笑)で登場する。
 この曲、映画を観て初めて知った。
♪オレは世界で二番目に優秀な秘密諜報員〜
 て、なんなんだ、この歌は!? 読売巨人軍の『多摩川ブルース』みたいな、《サーカス》の裏社歌なのか。と思ったら、ホントにこういう映画があったのですね。
 1965年の英国映画『Licensed To Kill』が米国では『The Second Best Secret Agent In The Whole World』のタイトルで公開され、この曲は米国版主題歌として作られたものだとか。まぁ、映画はいかにも007風なB級アクション・スパイ・コメディだが、主題歌はジミー・ヴァン・ヒューゼン&サミー・カーンの黄金コンビ作品、歌うはサミー・デイヴィスJr.、ゴージャスなオーケストラ・アレンジは巨匠クラウス・オガーマン……という超豪華な布陣。とはいえ、タイトルからしてタイトルなわけで、本気のゴージャスさも含めて本気のパロディって感じなのか。なんともねじれた贅沢っつーか。
 で、ショーン・コネリー演じる英国すけべスパイが世界的スーパースターになった時代、ガチで危険で地味な諜報活動に身を捧げる《サーカス》の人たちが、職場の食堂で開かれたささやかなパーティで、パチもん007の歌を大笑いしながら歌っているという図。もう、これは最高に楽しいジョークでしょう。そもそもル・カレがスマイリーものを書いた背景には、荒唐無稽な007に対するアンチテーゼとしてのリアリティ追求っていうのがあったわけで。なかなかに深い選曲ともいえる。楽しげにパーティに参加している“ゲイの図書館員”役のおじいちゃんの姿を見るにつけ(笑)、これは師匠オススメの曲だったりして……とか想像してしまう。しかし、この曲、ホントに面白いな。シナトラでもディーノでもなくサミー、というところがまた2・5枚目感バッチリでよろし。


Julio Iglesias『La Mer』(1976)

 アルベルト・イグレシアスがフリオの親戚とか、そういうことではないみたい。
 これはパリ、オランピア劇場でのライブ・バージョンなのだが。わざわざライヴ盤を選んだことの理由もハッキリとしている。とにかく、この曲の使い方がいちばんすごい。なんでいきなり『ラ・メール』なの? なんで唐突にフランス語なの? という疑問は、とりあえず映画を観たら全然どうでもよくなる。もともと最初にこの曲ありきだったのかもしれない、そう思えてしまうほど。
 しかし、この時代のフリオってこんなにワイルドだったっけ? 最初、誰が歌っているのかわからなかった。フランス語だと、こんな感じになるのかな。あえてちょっぴり粗野にふるまってセクシーさを強調しているような、そういう、いい意味でのヤらしさがあって妙にドキドキしてしまう。