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女には向かない職業

今年の初コンサート♪読響/山田和樹/ホアキン・アチュカロ

 今年の初コンサート。

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読響《土日マチネーシリーズ》@東京芸術劇場
指揮/山田和樹
ピアノ/ホアキン・アチュカロ
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ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
リムスキー=コルサコフ:交響組曲シェエラザード
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 読響と、今シーズンから首席客演指揮者に就任した山田和樹。残念ながら未聴だったこのコンビの演奏を聴いてみたかったのと、大好きな曲ばかりのプログラムだったのと、ピアノ協奏曲を弾くスペインの名匠アチュカロを聴いてみたかったのと、おまけに家からいちばん近いホールで、という、いいことづくめの福袋みたいなコンサート。新年聴き初めにぴったりでした。新年からものすごい多幸感。ヤマカズ×読響。素晴らしい。

 読響の馬力があってグルーヴィーなサウンドは、個人的にはすごく“洋楽っぽい”印象があり、そこが大好きなところなのだが。そういうサウンドを単なる“洋楽的”で終わらせず、長い歴史の上にある“日本のクラシック”として聴かせる心意気たるや。このオーケストラとでなければ作れない音楽、という強い意欲を感じる。それをライブで体験していることの贅沢さ。8つの美しい小さなワルツで構成される「高雅で感傷的なワルツ」の愛らしくも艶やかな気品は、西洋料理というよりも京都の高級料亭懐石おせちのような美しさ。贅沢なアペタイザーに1曲目からホロ酔い。

 アチュカロさんは今年で87歳になる、スペイン出身の至宝。ヤマカズと共にステージに登場すると客席に深々とおじぎをした後、くるりと後ろを向いてオーケストラにも同じように丁寧に一礼してピアノの前に。そのさりげない仕草ひとつにも、謙虚に誠実に音楽と向き合ってきた彼の長い人生の断片が見えるような気がした。

 ラヴェルのピアノ協奏曲におけるピアニストの演奏というと、概してクールで、洗練されていて、ちょっとだけヤクザな感じ(←ようするにブルーノート臭w)。ひとことで表現するならば“とっぽい”ピアノ、というか。いや、すべての演奏がそうだとは言わないけれど、私は個人的にそういう演奏こそがラヴェルのピアノ協奏曲の真髄だと思っているのだ(なんたってニューヨーク・フィル好きなもんで)。だから、第一楽章の始まりもパーンッとね、ハーレムのド真ん中で鳴り響く銃声!みたいな幕開けから、外連味たっぷりのとんがったピアノが……みたいな。そういう感じの演奏を期待してしまう。通常は。

 でも、アチュカロさんのピアノはとてもとても柔らかに歌いはじめた。優しく、おだやかで静かな声音で。とてもエレガントでノーブルで、けれど独特のタイム感のあるしなやかなリズムで叩き出すフレーズは不思議な熱と艶があった。ラヴェルはもともとたやすく他人を寄せ付けないクールさがあって、それは繊細さの裏返しでもあったはずだけど、音楽面は別としても、その内面は固い殻に包んで人には見せない……みたいなガンコオヤジな面はあったのだろう。そういうガンコさ、もとい繊細さは、どこか現代人の気質に通じるところがあったりして、それで私のようなクラシック音痴にもラヴェルの作品は親しみやすく響くのだろう。でも、固い殻といっても、その内側には柔らかでピュアに澄みきった、もう、ホントに泣きたくなるくらい素直な心が隠れていて、で、アチュカロさんのピアノというのは、ラヴェルの“殻”ではなく、その柔らかで情熱的な内面の世界をいきなり見せてくれるような演奏だった。音そのものは柔らかく優しいけれど、そこに沸き上がってくる感情は激しく情熱的で、ギラギラしていて、なおかつドキドキするほど色っぽくもある。優しいのに、どこか恐ろしさすら感じるのはたぶん私が、その演奏の鮮やかさや深みある音色に“人生の深淵”というものを見てしまったからに違いない。たぶんね。とにかく、ものすごく新鮮だった。心の奥深くまで届く演奏だった。終わって休憩になっても、ずっと余韻が残っていた。でも、最後にヤマカズと両手タッチして喜びあってキューッと抱き合うところとか、めちゃめちゃキュートで癒されましたが(#^_^#)。あ、アンコールで弾いたスクリャービンの「左手のための2つの小品〜ノクターン」も素晴らしかった。

 

アチュカロさんのラヴェルSpotifyにありました。

スペインのオーケストラEuskadiko Orkestra Sinfonikoaとの録音。

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 後半の「シェエラザード」は、もう、好きなオーケストラが演奏する時には絶対に聴きたいと思う作品のひとつ。千夜一夜物語に題材をとった「シェエラザード」はオーケストラが絶大な権力をふるう暴君シャリアール王を、彼に夜毎ひとつずつ物語を聞かせるシェエラザード妃をコンサートマスターがソロ・ヴァイオリンで表現する。なので、この作品ではコンマスという司令塔的な役割で奏でる男性的なプレイと、このヴァイオリン・ソロが奏でる女性的な音色の両面が求められるところが面白い。魅力的なオーケストラには、やっぱりそれぞれ個性的なコンマスがいる。そのことをあらためて、ライブ空間で発見できるのが「シェエラザード」の楽しみ。私がいちばん心に残っているのは、先代のコンマス、グレン・ディクテロウ大番頭の時代のアラン・ギルバート&ニューヨーク・フィルでの演奏。あの艶めかしさは、忘れられない。

 

※こちらは同じくアラン・ギルバート&NYフィルの、ディクテロウさんの次のヤング・コンマス、ホアンさんによるバージョン。この時の演奏は幸運にもNYで見ることができて、しかもリハーサルも見た!こちらもまた、異なる味わいで美しい。

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  いやー、しかし、ホワンさんが弾けば美貌の若妻って感じのシェエラザードに比べると、ディクテロウさんのシェエラザード妃はもう、百戦錬磨の美魔女(笑)みたいな。その色っぽさ、聴くたびに鳥肌が立つ。こう、ふだんとは別人のような絶世の美女になる。美しく、知的で、そしてなにげにエロい。ラジオのオンエア音源をもう10年近く大切に愛聴しているのですが。聴くたびに、歌舞伎の女形みたいだと思います。

 

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↑こんなおっちゃんが、絶世の美女に!音楽ってふしぎ。ちなみにこれは2014年、ディクテロウさんリタイアにあたってニューヨーク・フィルがデイヴィッド・ゲフィン・ホールに設置した立て看板。はやりのインスタ映えコンテストをやろう、という心意気はわかる。しかし……(略

 

 あとは、一昨年の来日公演で聴いたフィラデルフィア管の演奏も感動的だった。コンマスのデイヴィッド・キムさんは今、アメリカのオーケストラ・リーグでナンバーワンのコンマスだ。CD化してくれないかなー。

 そして今日のコンサートでの読響コンマス小森谷さんが奏でたシェエラザード妃も、美しかった! 洗練された美貌、横暴な王をいさめる知性、ときどき少女のごとき音色がちらっとのぞく感じもまたキュートだった。そして、オーケストラが奏でる“大暴れする王”の迫力もすごかった、リズムの揃い方で音圧が強調されるようなくだりはさすが読響。しびれますた。

 

 ヤマカズの指揮はいつも、その背中からとめどなく歓喜があふれ出して会場を満たしてゆくのが目に見える気がする。その音楽に《喜び》はあるか。ジャンルに関係なく、音楽について最近よく思うのはそのことだ。山田和樹については、たくさん書きたいことがあるのになかなかちゃんと書く機会がないのだけれども、今年はせめてここにでもちょこちょこ書き留めてゆきたいなと思っている。2009年にドゥダメルとギルバートが脚光を浴びた時に、ついに“同じ言葉で話してくれる音楽家”の時代が来たとワクワクした。ヤマカズの指揮する音楽に触れるたび、あの頃と同じような気持ちになる。

合唱指揮に才を発揮するあたりに、ネゼ=セガンとの共通点を感じたり。あと、今日はコンサートを見ている時にふと、奇しくもバーミンガム時代のネルソンスの姿が重なった。そういえば、アチュカロさんがアンコール曲を弾いている時、傍らの指揮台に座って楽しそうに聴いている姿というのはラトルさんみたいだったし。バーミンガムがヤマカズを求めているのは、実は“必然”なのかもしれない。

 

 

とにかく今年も、山田和樹さんの仕事はどれもこれも楽しみです。あと、個人的な抱負としては(笑)、今年こそ読響の定期会員になりたい。

 

【大黒そばもいいけどカレーもね】

そんなわけで、マチネはプリシアター・ランチも楽しみですな。本日はやはり、ブクロといえば池袋駅ナカ“CAMPカレー”。コンサート初めにふさわしく、揚げ茄子とベーコンのカシミール風カレーにチカラの限りいろいろトッピングしてみた!ので、特に理由はないが、本日は読響に始まってカレーで〆る…というブログにしてみます。

こ、これぞカレーの協奏曲や!!

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