Less Than JOURNAL

女には向かない職業

ウディ・アレン


高校1年の時、『アニー・ホール』のダイアン・キートンに憧れてお父さんのネクタイを借りた。映画の中で、カメラ目線でウディ・アレンが言った「自分を会員にする会員制クラブには入りたくない」と言うコトバが何だかずーっと心に残っていた。マルクス兄弟の引用であることを知るのは、ずっと後のことだけど。それから、ウディ・アレンの映画をもっと好きになりたいなぁと思いながら、いろいろ観るようになった。しかし、結局、彼の言うことはたいていよくわかんなかったし、そもそも何でこのオッサンがそんなにカッコいいのかもよくわからなかった。それでも、とにかく「ウディ・アレンが大好きな自分」になりたくてなりたくて頑張った。そういう意味のわからない頑張りをするのが青春の醍醐味である。ようするにヒマだったということだ。で、結局よくわからないまま、社会に出てしまえばスノッブに憧れるヒマもなくなり。自分とアレンを結ぶ接点といえば、ラヴィン・スプーンフルのサントラぐらいしかなくなってしまった。


自分の中に再びウディ・アレンに戻ってきたのは、『ブロードウェイと銃弾』の時だった。それまでだったら自分自身が演じていたであろう役にジョン・キューザックを配したり、いい感じで肩の力が抜けた……なぁんて言ったら偉そうだけど、画面に向かって自説をえんえんまくしたてるスタイルに比べると、両手を広げて観客を受け入れる姿勢というか、ストーリーテラーとしての自分を楽しんでいるような余裕を感じさせる作品だった。この頃は、ちょうどミア・ファローとのロリコン裁判の真っ最中だったわけで、バッシングの嵐をまともに浴びながらも、映画の中で芸術家の矜持というものをパリッと描きあげたアレンの“映画人”としての貪欲さと強靱さには、今さらながら圧倒される。それで、『ブロードウェイと銃弾』以降の作品はほとんどリアルタイムで観るようになった。が、それ以前の作品はあいかわらず、しばらくは好きになれないままだった。でも、最近になってようやく、ようやく、少しずつ好きになってきた感じ。


「ニューヨーカーらしい」「洒落た都会の…」といったキャッチ・フレーズや、インテリとかスノッブとかいうイメージに振り回されすぎていた……というか、自分がそういうイメージに憧れすぎて本質が見えてなかったのかもしれない。今でこそあたりまえの「シュリンク」とか「セラピー」とかいう言葉も、昔はアレン映画の中だけで知る特殊な世界だと思いこんでいたし。まっとうすぎる人間の中で滑稽にアタフタする、枠からはみ出たアダルトチャイルドという、アレン映画に出てくる主人公たち。それはかつての自分にとって“異世界”の人物像だったけれど、今はむしろ仲間感のほうが強くなってきたということなのでしょう(笑)。そういう部分で、彼の映画を観ていて痛いところを突かれるようにもなったし、励まされるようにもなった。歳をとると、食べられなかったものが好物になったり。大嫌いだった人が好きになったり。いろいろと面白いことがある。


今月号か先月号の『VANITY FAIR』に載っていたウディ・アレンの特集記事が面白かった。裁判後、バッシングのさなかに新作キャスティングが難航していた時に、ウディ・アレンがごくごくフツウに「ミアを呼べ。彼女が適役だ」と言い出して周囲をビックリさせた話とか。70歳を迎えてなお精力的な映画人としての、今さらながらタダモノではない感あふれるエピソードの数々は興味深かったし。ミア・ファローとの裁判の原因となった、ファローの養女であるスン・イーとの平穏な結婚生活についての話は、どことなく『さよなら、さよならハリウッド』を地で行くような、まさしくアンチ・ハリウッドなハリウッド式ハッピー・エンディングではあるまいか……なぁんて思ったりして。ちなみにスン・イーさんの戸籍上の父親は、ミア・ファローの元夫であるアンドレ・プレヴィンということになる。ミア・ファローはハタチでシナトラと結婚、ちなみにナンシー・シナトラはミアより年上である。数年後に離婚して、アンドレ・プレヴィンと再婚。その後、養子マニアと揶揄されるほど、色んな国籍の子供との養子縁組を繰り返す。そして養女のひとりスン・リーさんは、母親の長年の恋人だった30何歳年上のウディ・アレンと結婚。
ああ、なんだか、もう、すごすぎてよくわかんない話だ。頭ぐるぐる。凡人の脳みそで考えつく結論としては、正直、めちゃめちゃエロいサーガだよね? ということくらいだ。自分的には、今、最高にエロカッコいい人といえば倖田來未よりもウディ・アレンだな。