Less Than JOURNAL

女には向かない職業

『おとなのけんか』


↑この頃の顔が超好きです(〃'▽'〃)。
このドキュメンタリー、ぜひ日本でも出してほしい。。。。



 そうだ。そうであったよ。映画館には『裏切りのサーカス』(笑)の予告編を観に行ったわけではないのですよ。先月からなんだかんだで見そびれていたロマン・ポランスキー監督『おとなのけんか』を、ようやく観てきたのだった。水曜日だったし。

 こんなに楽しいポランスキーは久しぶりだ。
 詳しくないんで間違っているかもしれないけど、“コメディ”としては『吸血鬼』とか『欲望の館』以来になるんだろうか。でも、ああいう当時の流行っぽいB級お色気コメディ風を別モノと考えるならば、これは今までにない系統の作品では?

 原作はヤスミナ・レザ作の戯曲『大人は、かく戦えり』。映画のためにレザとポランスキーが脚色をして、もともとパリだった舞台(ブロードウェイ版ではNYに書き換えられた)をブルックリンに変えている。しかし大筋は舞台劇のままという感じらしく、ジョディ・フォスター、ジョン・C・ライリー、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ウォルツの4人による圧倒的な演技力がぶつかりあう室内劇。ブルックリンに暮らすフォスター+ライリー、ウィンスレット+ウォルツという2組の夫婦が、自分たちの子供のケンカをめぐって平和的な話し合いをするために顔を合わせたものの、どんどん互いの主張がエスカレートしてものすごい大ゲンカに発展して……というドタバタを、台詞と演技だけで思いっきり笑わせる。
 素材の味だけで食わせる極上の寿司、みたいな映画。
 てことは、それだけ“板前”としての監督の腕が試される。役者の演技力だけが際立つ作品なのに、カメラの向こうにいる監督の笑顔が見えるような映画だった。
   まぁ、それは単に、監督の顔が好きだからかもしれませんが(*´ェ`*)

 楽しい。本当に楽しい。いいオトナ4人がいがみあってギャーギャー騒いで、体面を保とうとすればするほど話がこじれてゆくみっともなさに大爆笑。
 しかし、実のところ、ポランスキーなのだから油断はできない……と、観ている間じゅうずっと思っていた。こんなに楽しい作品なのに、最後は絶対にイヤーな後味が残るはず。だって、ずーっと余韻をひきずるあの独特の後味こそがポランスキーの持ち味なわけで、こんな楽しいコメディ映画でも後味が悪い……っていうものすごい(ある種の)神業に近いことをやってのけるに違いないと。
 でも、最後まで楽しかった。
 そして、それでもあとからじんわり後味の悪さが来るかと思ったら……来なかった。

 「ひとつくらい自分の子供が観て楽しめる作品を撮りたかった」と言いながら、結局ラストで超ドヨヨーーンと最悪の余韻を残す『オリバー・ツイスト』みたいな映画を撮る監督であるからして。
 まさかね、楽しいだけでおウチに帰してくれるわけがない(o゜∀゜o)。
 と、思いきや。思いっきり楽しい気持ちのまま帰宅(笑)。

 もちろん、ケンカっつーのはどうやって発生して発展してゆくのか。というのを世界の紛争と重ね合わせて考えてみたり、いろいろ深読みできないわけではない。物語自体が、そういう“争い”の本質をテーマにしているわけだし。実際、アフリカの紛争などキーワードとしていろいろ深読みヒントの台詞が出てくるし。
 が、いつもなら考えたくないのに次々と深読みを強要してくるはずなのに、まったく深読みする気が起こらず。というか、深読みさせてくれないっつーか。メタファーおあずけっつーか。ものすごく捻れた我慢プレイみたいな?(笑)まぁ、しいて何か挙げてみるならば、うーん、フォスター+ライリー夫妻 vs ウィンスレット+ウォルツ夫妻っていうのが《米国 vs 欧州》とか……て、ほとんど言いがかりだな。

 ポランスキー監督、楽しそうでうれしいな。

 長年にわたるひとりのファンとして、これがいちばんの感想!
 もう、それだけで最高。
 いや、なんか、ほんとに、物語だけでなく撮影現場の雰囲気まで含めた“楽しさ”があふれる画面。観ていて、涙が出ちゃうくらいうれしかった。よかったなぁ、と。

 ナマイキな言い方だけど“こんな作品が撮れるような監督になったのか”ということを、『戦場のピアニスト』の時には思わなかったのに『おとなのけんか』で思った。こういう作品で“うまい”って言われるのは、年齢を重ねてきたことへの賞賛だよね。

 ウッディ・アレン監督の新作『ミッドナイト・イン・パリ』について“いつもの毒が影をひそめて…”と評する人がいる。まぁ、この映画は観ていないし、ここ最近のアレン作品ではぐっと身軽な感じがいつも印象的なので、“いつもの毒”がいつのことを指しているのかちょっとわからないんだけど。毒がないのに評判がいいというのは、すごくいいことですね。たぶん。『おとなのけんか』も同じようなことが言えるかと。
 ポランスキーだってアレンだって、ひねくれたくてひねくれてたわけじゃない。ジャンルを広げれば、ディランだってそうだ。自分の内面にある軋轢と戦いながら作品を作ってきた人が、その軋轢の副産物としてにじみ出ていた毒を観客に舐めさせることなく自分自身を自由に解き放つ瞬間。それを目撃することは、どれだけの哲学書や啓発本を読みふけるよりも私の人生に力を与えてくれる。

 ここでは詳述しないが、ポランスキーの生い立ちを考えるに、これだけの悲劇をひとりの人間が受けるということがあるんだろうかと思ってしまうわけで。ありとあらゆる残酷な仕打ちを受け続けた、本当に、想像を絶する人生。映画や文学や音楽といったものは、彼のような人生の前で何の役に立つのだろうとさえ思ってしまう。それでもポランスキーが映画作りをやめないのは(あるいは、だからこそやめられないのかもしれないけれど)、いったいなぜだろう。何が彼をかきたてるのだろう、といつも思う。
 ポランスキーが映画を作り続ける原動力のひとつはユーモア、だと思う。底知れない悲しみと背中合わせにある、ものすごく特別な、崇高なユーモア。で、それはけっこういちばん重要なことかもとも思う。続ける、という行為に対しての原動力。実際に作品を観ていても、彼にとっての“表現”という衝動がユーモアの心に支えられていると感じることは多い。役者として出演する時は、3枚目か2・5枚目の役が多いし。でも、監督作品になると、なかなかスカッと笑える作品というわけにはいかないんだけど。ユーモアといっても、限りなく慈愛の心に近いユーモア。かな。そういうのは常にどんな作品の中にもある。そういう部分を見つけるのもまた、彼の映画を観る楽しみだったりするし。
 人間の愚かさに怒りをぶちまけるだけでなく、その愚かさの中にある滑稽さをすくいあげてみせる。弱者を虐げる者は、愛なき者は、人間としてどれだけ滑稽な存在なのか。それを慈愛の心でスケッチすると、時に悲劇が喜劇になったりするのかもしれない。シェイクスピア先生みたいに。

 ポーランドで無名時代に監督した短編などにも、絶妙な笑いのセンスがある。爆笑ギャグじゃなくて、“間”でくすくすっと笑わせるセンス。そういう“間”のおかしさはコメディ映画だけでなく『ローズマリーの赤ちゃん』の中にも『テス』の中にも『戦場のピアニスト』の中にも『ゴーストライター』の中にもある。『フランティック』でハリソン・フォードが無意味に全裸になる場面のおかしさとか、ハリソン史上に残る名場面だと思うし。もっさり系二枚目キャラのハリソンに、まさかダチョウ倶楽部と同質の笑いを取りに行かせるなんて……これはスピルバーグにはムリでしょう。
 今までにない作風の『おとなのけんか』をいかにもポランスキー映画だなぁとしみじみ思うのも、そういう“間”の絶妙さのせいだ。ネタバレになるから詳しくは書かないけど、ハムスターの出てくる絶妙なタイミングとか。あと、ジョディーねえさんが惜しげもなく超ブサイク顔に崩壊する瞬間とか、ケイト嬢の××××のタイミングとか、ホントに最高。

 しかし、それにしても監督がアメリカで映画を撮ることはかなわぬ夢なんだろうか。
 『ゴーストライター』でもそうだったけど、いくらロケ地を“アメリカ風”に見せる工夫をしても限界があるんだよなぁ。どんなにがんばっても、アメリカ人が「わぁ、アメリカなのにまるでヨーロッパみたい!おされ!」って喜ぶアメリカ、みたいな疑似な雰囲気だし(笑)。『おとなのけんか』の舞台となるブルックリンのアパートメントは、パリ郊外にある建物に作った部屋だそうだ。ものすごく凝っていて、膨大な小道具や食べ物をわざわざアメリカから取り寄せて「ブルックリン風」にしたとか。確かに、ごちゃごちゃいろんなものが置いてあって、いかにもヨーロッパ文化大好きインテリアメリカ人の部屋という感じが楽しい。ポランスキーヤン・ファン・エイクの絵画『アルノルフィーニ夫婦像』を例にあげているが、くどいほど詰め込まれた小道具ひとつひとつが何か語りかけてくるような画面は『マッドメン』的ともいえる。
 まぁ、これだけ“今どきのアメリカっぽい”空間を作るのは、もしかしたらアメリカにいないからこそできることかもしれないけど。今回もあえて舞台をブルックリンにしたり、監督としてはアメリカを描くことへのこだわりはずっとあるようだし。そろそろ、なんとかアメリカで撮れないものですかのぉ。と、思ってしまったりもするのですけどねぇ。あんまりムリして、また問題になったり逮捕されても困るので、まぁ、あくまでも夢と希望ってことですが。

 遠景でちらっと出てくるだけですが、今回も愛息エルヴィス・ポランスキー君が登場していますね。本来ならばエルヴィス君って名前はどうなのよ、というところですが。まぁ、ヨーロッパ人ならいいか。ある種のキラキラネームってことで(ノД`)。
 エルヴィス君はケイト・ウィンスレットのほうの夫婦の息子、ケンカの種となるイジメっこ役。前作『ゴーストライター』では、娘さんがホテルのレセプション役で登場した。オフシーズンで宿泊客のいない高級別荘地のホテルという設定なのに、できそこないの『ツイン・ピークス』みたいというか、まちがったメイド喫茶みたいなカッコで出てくる唐突さが謎でしたが。まぁ、なんか、ポランスキー監督の親バカ起用は大好きだからいいんです。クレジットにお子さんたちの名前があるとうれしくてニヤニヤしちゃう。とはいっても、たいがい結局エキストラ級のチラ出しだけですが。いっそ子供たちの主演映画撮るくらい思いっきり親バカでいいのにぃと思ってしまう(*^_^*)。