Less Than JOURNAL

女には向かない職業

夏川りみ@中野サンプラザ

  • 12月15日 夏川りみコンサート・ツアー“ココロツタエ〜さようなら ありがとう”


ひたすら気持ちいいものに包まれることのシアワセ。
温泉に行った後みたいにリフレッシュして、“ポーッ”とイイ気分のまま帰宅。


「コトダマ」とか「癒される」とか、そういう言葉を軽々しく音楽に使うのは好きではないけれど。夏川りみの歌を聴いていると、そういうチカラは幻想や願望ではなく本当に実在するものなのだとしみじみ痛感させられる。
ニュー・アルバム『彩風の音』ではロック的アプローチなんかも聴かせてくれている彼女の歌声を、いちどナマで聴いてみたいと思っていた。で、ご縁があって中野サンプラザ


沖縄の着物をアレンジしたドレスは、純白地にスパンコールの花柄をちりばめてあって。まさにグラム・パーソンズ! みたいな。曲によってひょいと三線を抱えて歌う姿も、キュートに男まさりなギターを弾く女性カントリー・シンガーみたいなカッコよさ。楽曲もMCもすべてひっくるめて、とても丁寧に純粋に作り込まれた“日本的”なショウなのだが、不思議とすごく“洋楽的”な印象のステージだった。自分が生まれ育った場所の音楽とまっすぐに向かい合っている清々しい“強さ”のせいだろうか。その歌声に魅せられて様々なソングライターやミュージシャンたちが集まってくる……という意味で、かねがね、夏川りみの存在感をリンダ・ロンシュタットにたとえてみたりしていたのだが。ステージ上での愛らしいたたずまいや、歌声だけでみんなを引っ張っていく親分肌の貫禄を見て、やっぱりリンダに近いところは多々あるなぁとあらためて確信した。音楽的にも、トラディショナルを心のホームグラウンドに持ちながらもいろんなアプローチをしていくところはちょっと似ているのかも。


「さようなら ありがとう」は、コブクロ小渕健太郎が亡くなった母の気持ちを思って書いたという曲。この曲もライブで聴いてみたいと思っていたが、実際、ライブ・バージョンは想像していた以上に素晴らしかった。母親の一人称で、彼女がこの世を去る日に感謝と別れを残された人たちに語りかけてゆく。そんな悲しい歌だけれども、慈しみと優しさに溢れた夏川の声で歌われると悲しさよりも幸福感のほうに心が満たされてゆく。彼女自身も、この曲を歌っていると元気が出てくるんだと言う。「涙そうそう」も森山良子が亡くなった兄を想って書いた詞だが、森山は「これは悲しい歌ではなくて、大好きな人を歌った歌」だと説明して、この曲を夏川に託したのだという。そんな森山の想いを夏川は見事に体現して、「涙そうそう」は結婚式でも歌われるような“幸福の歌”として世に知れ渡った。これはやっぱり、夏川の声にそなわった天性のチカラゆえの結果なのだろう。歌の中で生と死の境界線上に立ち、その時でさえも揺らぐことない強い“魂”を持った声を、吉川忠英は「りみの声は太陽だね」と評したという。そう、まさに太陽。それゆえ、彼女の歌に涙しながらほんわりと温かい気持ちに包まれる。太陽の強さと、大きさと、明るさを生まれながらに持った声だと思う。だからこそ、小渕健太郎も自分の母親の想いを一人称で歌う……という、あまりにも極私的な大切な曲を夏川に託したのだろう。


とてつもなく大きいモノを見てると、心が安らぐ。海とか山とか。逆に、小さいものを大きく見せたがるモノっていうのは、心が疲れる。夏川りみの歌を聴いて、ジャンル云々はどーでもよくなってひたすら無条件に心が慰められたのは、昨今あまりにも多い「自分を大きく見せたがる」歌に疲れているせいかもしれない。で、自分自身も「ジャンルにこだわらない」とか“大きな人間”を装っているが、実はガチガチにジャンルに縛られていたりするわけだが。このライブを観ていたら、そういう自主規制の束縛からも解放された気がした。場の雰囲気がガラッと歌謡ショウなムードになった「涙そうそう」も、ちょっとカッチョいいロックなビートでりみちゃんが踊る曲も、自分にはわからない言葉で歌われる沖縄音楽でさえも全部ひとつの地平線でつながってる“音楽”という1ジャンルに感じられたもの。すごい歌手だ。とにかく、そのひとことに尽きる。

彩風の音

彩風の音


余談。夏川りみキャロル・キングも大好きなのだそうだが。このライブのセット、まさにキャロル・キングの“リヴィング・ルーム・ツアー”風。オープニングも“私の部屋にようこそ”という彼女自身のアナウンスから始まるし。ひょっとして!? とニンマリ。