Less Than JOURNAL

女には向かない職業

ウォーク・ザ・ライン/君につづく道

-『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』(2005・アメリカ)@テアトルタイムススクエア
やっと観に行って来た、と言っても封切りから1週間経ってないけど。とりあえず、まだ頭の中がまとまってないけどメモみたいな感想を。

いやー、完成度の高い作品だ。音楽映画って、事実関係にこだわりすぎるとディテールばかり凝った再現ドラマになりがちで、逆に脚色にこだわりすぎると史実から離脱しすぎてしまいがちで。なかなかうまいバランスがとれないものだ。バランスという意味では『レイ』はかなりよくできていた映画だと思うが、バランスにこだわりすぎて“2時間でわかるレイ・チャールズ”的な、ある意味ストーリー的にはちょっとそっけない印象がなきにしもあらずだった。だから面白かったけど、二度三度と観たくなる気にはならなかった。
でも、『ウォーク・ザ・ライン』は何回か観たいなぁと思った。ラブ・ストーリーという主軸の構成がしっかりしていて、なおかつナニゲに細かいディテールもあれこれ詰め込まれている。まずはホアキン・フェニックスリーズ・ウィザースプーンという演技派スター競演による“物語”として楽しんで観たけれど、何の説明もなくがんがん出てくる実在のミュージシャンたちとか業界人とか、史実の細々したところとか、次はゆっくり確認しながら観たいなぁと思った。

エルヴィスとかロイ・オービソンとかジェリー・リー・ルイスとかウェイロン・ジェニングスが劇中でも実名の“役柄”として出てきて、まぁ、映画の中では“チョイ役”なんだけど、彼らをはじめとする有名無名のミュージシャンたちがゴチャまぜになってパッケージ・ショウでツアーしてる場面の描写なんかは、映画の本筋からちょっと外れるけど、ロックンロール創生期の青春群像物語……みたいな混沌とした雰囲気がよく出ていてホロリとさせられる。あと、ミュージシャンたちの多くは実際にもミュージシャンが配役されているらしくて、そのセンスが隠し味としてイイ味を出している。ジェリー・リー・ルイス窪塚洋介チックなキャラとして演じたウェイロン・マロン・ペインは、クリス・クリストファーソンの曲をヒットさせたサミ・スミスが母親、ウィリー・ネルソンのギタリストであるジョディ・ペインが父親、で、名付け親はウェイロン・ジェニングスというサラブレッドくん。エルヴィスを演じたタイラー・ヒルトンは、前に“今度歌手デビューするらしい”と書いたけど、すでに俳優兼歌手として活動中だそうだ。キャイーン・天野クンみたいなオービソンを演じたジョナサン・ライスは、REMともツアーした経験のあるシンガー・ソングライター。ウェイロンを演じているシューター・ジェニングスに至っては、なんとウェイロンの実の息子さんだそうですよッ。あと、何かと接点のあるボブ・ディランも登場するのかなぁと期待していたが、出てこなかった。が、家で暴れるキャッシュの背後でラジオから「ハイウェイ61」が爆音で流れてるとか(この短い場面も実は、キャッシュがフォークに接近していたという史実を表現している)、コロムビアのオフィスに行くと壁に『ブロンド・オン・ブロンド』の写真が掛かってるとかいう小ネタはありました。ホントはねぇ、ウェイロンと同様に、ディラン役をジェイコブ・ディランが演じてくれたりしたら最高だったんだけどねぇ。ま、あそこんちは、いろいろと難しいからねぇ。権利とか、父子関係とか……。残念だから悔しまぎれに「ディランが、オレの役はブラピでなければダメと言った」とか「ディランが、ノムさんよろしく息子をネジこもうとしてプロデューサーに断られた」とか「ディランが、オレの役はオレがやると言い張った」とか、風説の流布をしてみるか。あながち、あり得ない話でもなさそうだし。
映画の、史実再現の精度についてはくどくど言わない。ある意味、そんなもん、だいたいの大筋さえ合ってればどーでもいいのだ(笑)。ま、マニアックに指摘してゆくならば、事実との相違点はいろいろある。冒頭、そして映画のクライマックス・シーンとなるフォルサム刑務所の場面も、実際とはちょっと違う脚色が加えられているし。ただ、ジョニー・キャッシュとジューン・カーターのラブ・ストーリーを中心にとらえれば、史実をかなりうまく“イメージ化”というカタチでコラージュしつつ「物語」へと昇華させているように思った。もともと原作がキャッシュ自身の自伝であり、生前のキャッシュ夫妻とも脚本の草稿段階から密接なやりとりを繰り返していたというから、キャッシュの視点から見たラブ・ストーリーというの土台の部分は最初からガッチリと揺るぎなく築かれていて、その上でフィクションとしての脚色がされている。ジェームズ・マンゴールド監督が脚本家出身というだけあって、シロート目に見てもいわゆる「よく練られているホン」だ。
ま、そもそも、こういう伝記モノは視点によって同じ事実でもとらえ方は違うので、どんな伝記にも正解はない。ちなみにキャッシュと前妻との娘であるロザンヌ・キャッシュは、この映画については「認めない」と発言しているとか。たしかに、ロザンヌの立場からすれば、これはないだろーなー……と思うもの。自分の母をないがしろにしたドロドロW不倫の話だし、ロザンヌの母は夫の仕事に理解のない、誠実な夫を振り回す身勝手な女という面をデフォルメかけて描いているので、まぁ、身内としては認めなくて当然だわな。なので、ロザンヌの視点もまた正解であるわけだが。そういういろんな“みんなの意見をミックスして”みたいな多数決で焦点がボヤけてゆく大作映画が多い中、あくまでキャッシュの視点でビシッとスジを通した潔さ。それが映画のスピード感にもつながっている。ひょっとしてキャッシュの自伝が原作でなく、彼自身が製作のスタート地点で関わっていなかったら、親族であるロザンヌの意見をもっと取り入れざるを得なかったかもしれない。そしたらまた違う物語ができあがっていたのだろう。

アカデミーにもノミネートされている、ジューン・カーターを演じるリーズ・ウィザースプーン。かわいい。やっぱし濱田マリちゃんによく似てるわぁ。それはさておき。コメディエンヌとしての才能に加えて、由緒ある名家に生まれ育ったお嬢様としての品格とか、芸能人でありながらも家庭人であるところとか、もう、ウィザースプーンの魅力を全方位で生かせる役柄というか。「キューティ・ブロンド」以上にピッタシ!の役どころなんである。カーター・ファミリーといえば、米カントリー界の“ロイヤル・ファミリー”。で、その名門一族のお嬢さんであり、ファミリーの中では歌よりも“おもしろMC担当”を担わされていたジューン。彼女自身も、これは自分がやるしかないと確信したに違いない。この映画の製作には、ウィザースプーンの所有する製作会社が名を連ねている。なのでウィザースプーンの評判も上々だが、ホアキン・フェニックスジョニー・キャッシュぶりも素晴らしい。似てる。と言ってもモノマネでなく、アウトローな雰囲気を見事に体現していて。ジョニー・キャッシュの持つ独特の色っぽい雰囲気をぷんぷん漂わせている。撮影前、主演のふたりは音楽を担当したT・ボーン・バーネット先生の指導による数ヶ月間にわたる“キャッシュ合宿”までやったらしい。いいなぁ、キャッシュ合宿。どんなに辛くても楽しそうだ(笑)。
ホ「ハロー、アイムジョニーキャッシュ」
T「もっと低く!」
ホ「ハッロォ〜……」
T「それじゃあキャッシュじゃなくてビッグ・ボッパーだろうッ!」
ホ「オレ、これ以上低く言えません」
T「ダメだ。今日はできるまで寝かせないぞ」
……みたいなことを、朝から晩までやってたのかなぁ(うっとり)。
で、キャッシュ合宿の成果はバッチリで、演技をしているシーンよりも歌っているシーンのほうが雄弁に思えるような場面が多かった。特に、ステージ上でデュエットしながら、だんだんジョニーとジューンとが心を通わせてゆくシーン。歌が盛りあがってゆく途中で、パッとふたりの表情が変わる。“通じた!”みたいな瞬間だ。で、その客席では、何かを察して冷たい表情でステージを見守る奥さん……という。その時のホンモノのライブを見ているようにリアルな“音楽による演技”だった。ちなみにパンフレットによれば、生前にキャッシュは監督に「誰がオレを演じることになったとしても、ギターの抱え方だけは知っていてほしい」と語ったとか。ひゃー、かっこよすぎる。合宿でも、ギターの抱え方を特訓されたのだろうか。
そういう音楽的な部分での再現度は、サン・レコードのスタジオとかライブの様子とかも含めてかなり細かくディテールにこだわって再現してるなぁっていうことを思ったのだが。あと、アーカンソーの田舎町での少年時代の風景を観て、まるでノーマン・ロックウェルの絵みたいだなぁと思った。つか、自分がロックウェルの絵でしか知らない世界が、この時代はアメリカのどこにでもフツウにあったんですね。

日本ではジョニー・キャッシュ知名度はかなり低いわけで、ミック・ジャガーとかボブ・ディランとかボノとか、いろんなジャンルのスーパースターがリスペクトする“知られざるカントリー界の大物”くらいの認識なのかもしれない。でも、アメリカでは、いわばエルヴィス・プレスリーの伝記を撮るくらいの大きな題材だ。ケヴィン・スペイシーのボビー・ダーリンとはワケが違う(泣笑)。なので、映画中ではわりとフツウの質素な人々として登場するジューンの両親というのも、アメリカだと画面に出てきたとたん「あっ、ロイヤル・ファミリーがッ!」と盛りあがるのだろう。ちょっとうらやましいな。そして、ジューンが両親の理解を得てキャッシュを薬物依存から救うという話の経緯も、かつてジューンの母親が音楽仲間だったハンク・ウィリアムスを薬物中毒から救うことができずに死なせてしまった……という後悔の念が残っていたという伏線がある。映画の中ではほとんど描かれていないので、物語としては“理解のある両親”とか“芸人一家だから、理解がある”みたいな印象を伝えるのみ……かもしれない。ただ、そのあたり、映画でわざわざ説明しないのは、たぶんアメリカ音楽の歴史を知っていれば常識というか、ちょっと考えれば推測できることだからなのだろう。そのあたりの細かい音楽史ネタが一般常識として浸透しているかどうかで、日米ではかなり映画の印象に温度差があるはず。ただ、その温度差は逆に面白い気がする。そのぶん、日本では純粋に映画としての評価がなされるってことだろうし。それはそれで楽しみだし。この映画、実はもともとインターナショナルな公開を意識するうえで、キャッシュ知識の有無に関係なく楽しめるように……という点まで計算されているのかも。なんてことも思ったりした。
この日は水曜日で1000円だったとゆーこともあるだろうけど、夕方の回もけっこうお客さんが多かった。わりと広い劇場だが、8割くらい? ロビーには、いろんな雑誌の記事がスクラップされていたり、プレゼントで当たるというギター、エスクワイアーが展示されてたり、あとはキャッシュの“日本初上陸”公式グッズなんかも売っていたり、ジョニー・キャッシュを知らない人にもより深く映画を楽しんでもらおうという熱意が伝わってきた。グッズはTシャツとか、サンレコードのグッズとか、ステッカーとか、なかなかお目にかかれない魅力的な品々が揃っていたが、それもそのはず原宿ラブ・ミー・テンダーの輸入販売だとか。なるほど。なんと、ジョニー・キャッシュのフィギュアを買いましたよ。2400円也。これはいいお買い物ができた、ホクホク。しかも、ラスト・ワンでした。あと、他の上映館は知らないけど、テアトルタイムズスクエアではギターを持ってきた人とお連れさん1名が入場料1000円になるという“ミュージシャン割引”を実施中! 20世紀フォックス、やるなぁ。でも、チケット売場でギター見せるのはちょっと恥ずかしいかも。

ちなみにテアトルタイムズスクエアはもともとアイマックス・シアターだった劇場。フツウの映画館になって初めて行ったんだけど、テーマパークの3D劇場みたいな大仰な内装がそのまま残ってるゴージャス仕様で、そのわりにチケット売場や売店は簡素で、ロビーも何もないから開演前にレストラン街であるフロアの共有スペースにワラワラと並ばなければいけない面倒くささがあって、ヘンにゴージャスチープ。
パンフレットによると、初夏にはDVD発売予定だそうだ。2枚組で、特典映像としてフォルサム刑務所ライブの発掘映像を含むドキュメンタリーなんかも収録されているとか。早くDVDが欲すぃー。でも、その前に、もういちどくらい映画館でも観たい。

ウォーク・ザ・ライン~君につづく道

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