Less Than JOURNAL

女には向かない職業

せつない。

ベイスターズ石井琢朗が6日付の個人ブログ「琢朗主義」で、去る5日に急逝した上本セリーグ審判員について、思いやりにあふれた追悼のコメントを書いていた。上本審判は、4日にナゴヤドームで行われた中日−横浜戦の一塁塁審を務めた後、自宅に戻り、翌日午前に心筋梗塞で急死されたそうだ。「最後のジャッジ」と題した日記で、彼は試合中に上本審判と交わした最後の会話――3連戦初日のバッターボックスでのこと――について書いている。5月2〜4日の横浜戦といえば、中日が3タテ決めて狂喜乱舞したデーゲーム。そして、タクロウ選手が最後に言葉を交わしたのは奇しくも彼が、通算1000三振という不名誉な記録を達成した時のことだったとか。記憶に新しいだけに、とてもせつない。
突然、誰かが遠くに旅立ってしまった時、わたしがいつも真っ先に思うのは、最後に交わした会話は何だったろうか……ということ。「じゃ、またね」と言ったきり会えなくなってしまった人もいる。あの時にもっといろんなことを話しておけばよかったなぁと思ったり、だけどいつかはまた会えるから「じゃ、またね」も正しかったのかなと思ったり。いろんなことを思う。石井琢朗もきっと、最後の打席でのことをずっと忘れないだろう。
で。一昨日、達川が広島球場で審判のことをやたら「カッコいい、カッコいい」言っていて笑った話を書いた。それは、まさに5日のデーゲーム中のことだ。そして上本さんは、もともとは81年に広島に捕手として入団した人。達川がよく知る後輩である。訃報を耳にしていたのか? たぶん、話の様子からして達川は、彼が亡くなったことを知らずに話していたように思うのだが。だとしたら、唐突にそんなことを言ったのは、何か虫の知らせというものだったのかと思った。
R.I.P.

往々にして、審判というのは誤審疑惑だの乱闘だのトラブルがあった時ばかりクローズアップされる役まわりをさせられている。と、他人事のように書いているけど、やっぱし「おーおー審判、どこ見てんだーッ!」とか「おいおいおいおいバットまわってるぞー!」とか、そういうヤジは、ホント、申しわけないが、燃える。で、今年はルール改正のこともあって、けっこう判定でもめることが例年より多くて、テレビでも解説者が「審判はもうちょっとしっかりしてほしいですねー」などと、やたら審判にホコ先を向けてるきらいがある。でも、その仕事はどれほど神経をすり減らす重労働なのかとあらためて考えさせられる。最近の日本球界のギスギスしたムードというのもまた、審判員の重責にさらなるプレッシャーをかけている一因なのかもしれない、と、ふと思ったりして。

と、言いつつ、今日はブラウン監督に敬意を表して、カープぼうやが一塁ベースを投げてる写真と、それをドアラ(←名前は荒木)が拾ってる写真を撮ろうと思っていたのだが。そんなことしてる時間がないのが残念なような、そんなことしてるヒマがあったらマジで仕事しろよじぶんという気がするような、そんな1日でした。

いやー、ものすごい形相で一塁ベースをひっぺがしてるブラウン監督には萌えました。