Less Than JOURNAL

女には向かない職業

回答。

 人間とは贅沢な生き物ですな。インターネッツが普及した時はあんなに喜んだっつーのに、便利になったらなったで、ネット・サーヒンで膨大な情報を集めて回るのも疲れるなーとか思うようになったり。情報の樹海へと自分から出ていくのも、なんだか億劫になってきたりして。でも最近はツイッターのおかげで、海外の音楽情報もサクサクッとチェックできるようになったのが本当にありがたい。ウェブ巡りをするのがショッピングに出かける感覚だとすると、ツイッターからの情報選択は宅配してもらう感覚。今までは気まぐれに拾い読みするだけだった海外の新聞や情報誌、音楽誌の記事も格段にいっぱい読むようになった。えーと、まぁ、語学堪能な方々にはネットサーヒンったって別にご苦労もないかと思いますが……英語はね、それなりに重労働なんだよ、オレばかだから(* ̄Θ ̄*)。てへへ。でも、まずは140字の情報ですべての見出しをチェックすることができて、そこから必要なものだけ拾って読みに行く…というスタイルだと本当に楽ちんなんです。ストレスが大幅に減りましたよ。ほんとありがたやついった。


 そんなわけで、ここんとこ英米のレヴュー記事を読んでてふと思ったのだが。
 日本でも海外でも、とにかく、まったくもって、いつまでたっても「○○に対する○○からの回答」ってフレーズが多すぎるな。
 昔から嫌いだ、というだけの話なんですがね。《回答》呼ばわりが。
 確かダイアン・バーチも、エイミー・ワインハウスリリー・アレンら女性UKソウル勢へのアメリカからの回答って書かれていたでしょう。日本と英米の音楽評論って、基本的に全然ボキャブラリーも表現も異なるんだが。「回答」フレーズだけは共通して、やたら多い。なんなんだろうか。確かに、その話法だと書きやすいってのはあるけどね。「Aさんの音楽はBさんの音楽に似てます」と書きたいところを「回答である」と書くと、ちょっとソフトリィ〜になるし。パクってると書くよりも、カドが立たないスから。ねっ。
 でもやっぱし、よくよく考えると《回答》って何なんだ?と思う。



 「そっちがそう出るなら、こっちにも考えがあるぜ」


 ようするに、そーゆーことだろうか。
 たとえば何かに対して「アメリカからの回答」が出てくると、次は「イギリスからの回答」が出てくる。この英米対決って、なんかこう「なんじゃウリャー」「そっちこそオリャー」的な、ビーバップのメンチ切り合いのイメージ映像が浮かんでしまふのです。

 中には、どう考えてもそれは答えになってないよってな回答もあるし。
 あるいは、やぶからぼうに「これは××への日本からの回答である」とか、どう考えても問い合わせされてないのに先に回答しちゃうフライングの人たちもいたりしてちょっと恥ずかしい。

 さっきアマゾンでFindlay Brownの旧作のとこ見てたら「ホセ・ゴンザレスへのUKからの回答」って書いてあった。なんだそれは。まぁ、わからんでもないが。とりあえず近いもの見繕って回答しておけばエエじゃろう的な感じがしなくもないわけで。

 《回答》ブームのチャンピオンっつーのは、やっぱドノヴァン先生ですかね。
 ディランに対するイギリスからの回答。
 しかし、考えてみると、あれも回答になってたのかどうかわかんないな。

 考えてみると、昔から英米は回答の応酬だらけだな。モンキーズビートルズへの回答でしょ。あと、バーズもビートルズへの回答だったか。他にはどういうビッグ回答がありましたかね。


 もうやめようぜ、回答。
 音楽に答えなんて、ないんだぜ。



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