Less Than JOURNAL

女には向かない職業

『私は、マリア・カラス』

 カラスといっても、キョエちゃんではないのよ。

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 12月21日公開のドキュメンタリー『私は、マリア・カラス (MARIA BY CALLAS)』の試写会へ。※以下、ネタはバレませんのでご安心ください。
 現存するカラスの映像やインタビュー音声はそう多くないので、最初、初出ネタがふんだんと言われてもあまりピンと来なかったけれど、実際に見たら本当にびっくりした。観客によるブート映像があったり、既出のパリやロンドン公演の映像も当時の資料をたよりに着色したカラー映像だったりとレア度ハンパない。他にも富豪オナシスとの交際中のプライベート映像とか、ニューヨークでのデビッド・フロストのインタビューとか、古い映像を本当にイキイキと見せてくれる。当時のヴォーグ・マガジンとかLIFE誌の世界に入りこんだ気分になる。さらには未完の伝記や友人たちへの私信など、膨大な資料から公開される素材は、ほぼ半分くらいが初出のものだとか。これを見るだけでも価値があるけれど、たぶんカラスやオペラにあまり興味がない人でも、20世紀のスーパー・セレブのひとりのバイオグラフィーとして魅力的な作品だと思う。

 この伝記や手紙をメインに、ほぼ彼女自身による言葉や文章だけを使って構成されたナレーションと美しい映像のコラージュによって、ゆっくりと、しかし歩みをゆるめることなく、栄光と絶望をめまぐるしく繰り返しながら“終わり”へと近づいてゆくカラスの人生が淡々と綴られてゆく。この淡々とした感じがまた、彼女の強さと弱さ、はかなさをあらわしているようで胸しめつけられる。ナレーションの朗読は、かつて映画でカラスを演じた女優ファニー・アルダンによるもの(オリジナルのフランス語版)だが、米国公開版では歌手ジョイス・ディドナートが担当している(英語吹替版)。ディドナートは、この仕事を通じてカラスの心を体験することができたとコメントしていて、そちらもちょっと気になるところだ。

 ファッション広告なども手がけてきたというトム・ヴォルフ監督の映像が本当に美しい。コンサート映像などでも、カラスの素顔がフッとよぎる瞬間や、その人生を感じさせるような表情を巧みにとらえた編集で、言葉にはならない彼女の優雅さ、独特のオーラ、凄味、内から滲みでる悲しさ…を映像で伝えている。トレードマークの極太アイラインや、激しい気性という噂やオペラでの役柄からの連想で、一般的には“強めな女性”のイメージが強いけれど、このドキュメンタリーでのマリア・カラスはとても柔らかな印象。封建的な男社会や魑魅魍魎のオペラ界の嵐を必至にのりきってきた、無防備で勇気のある女性。それは、3年にわたり周辺人物への取材を続けてきた監督が見つけた“本当のマリア・カラス”像なのだろうか。彼女がインタビューで語る「マリアとして生きるには、カラスの名が重すぎる」という言葉の余韻が、今日はずっと心に残っている。

 個人的に、パゾリーニの映画『王女メディア』についてのくだりもたいへん興味深かった。それまで映画のオファーは軒並み断ってきたというカラスが、なんで『王女メディア』を引き受けたのか。パゾリーニとカラスの関係性って、どんな感じだったんだろう。と、ずっと気になっていたのだ。撮影のメイキング・シーンや、パゾリーニとの会話、プライベートなスナップ写真を見ているだけでも、言葉でくどくど説明されるよりずっと深く腑に落ちるものがあった。孤高の天才同士にしかわからない言語で語り合える相手の心地よさ。カッパドキアでの撮影はとても過酷で、当時は心身ともに弱っていた彼女には楽なものではなかったはずなのに、セットでのスナップ写真でみる彼女はとてもリラックスしているように見える。パゾリーニにしても、もしウォーホールマリリン・モンローと映画を撮っていたらこんな表情になったんじゃないかというくらいの笑顔。無償の愛。全身全霊のリスペクト。この撮影は、その時の彼女にとっては何より必要な時間だったんだと思った。

 

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マリア・カラスが亡くなったのは53歳。ついに私も、彼女より年上になってしまった。でも、やっぱり彼女は年齢より何倍もの人生を生きてきた女性だと思う。

 

『王女メディア』


MEDEA, Pasolini; original in English excerpt. Maria Callas