Less Than JOURNAL

女には向かない職業

ムーンライダーズ@渋谷AX

ああ〜ん、6人いるぅ。
と、それだけでもう胸がいっぱいになってしまった恒例・年末ライブ。
前回体調不良で欠場したかしぶち哲郎が復活。さらにサポートとして、ドラムスに矢部さん、フルート国吉さん&サックス矢口さんが加わっての鉄壁構成。

終わってから、年上の古株ファンの方々と「なんか昔に戻ってるね」と頷きあう。会う人、会う人、世代も職業も趣味も違う人たちがみんな同じ気持ちを共有して、同じようにニコニコしていた。長く同じバンドを好きでいるということは、往々にして停滞した価値観を死守しているようなマンネリ感がつきまとうものだが。そうじゃなくて、最初に好きになった時の気持ちのまま、音楽はどんどん“続いている”ことのうれしさ。で、そーゆーバンドを好きでいる自分にもバンザイ! みたいなそういうニコニコ笑顔。だったと思う。自分がそうだったから、とゆーだけでなく。絶対みんな、同じ種類の笑顔だったねっ。

でも、“戻ってる”というのはあくまで感覚的な印象であって。むしろ“戻ってない”のだ。で、戻っていない音を奏でている姿が、昔と変わらぬ強さを感じさせるので、なんだか古くからのファンは遠い日々がフラッシュバックしてしまうような気分になったりする。ということだと思う。その証拠に、ファン層は美しいまでに老若男女だもの。今の彼らの音楽は、今の時代にはない音で、かといってノスタルジックでもない音で。そんなフシギな刺激を与えてくれる新しい音楽だ。

音そのものは古かったり退行してるわけでなく、むしろ今どきの“はっぴいえんど大好きっ子”系のバンドより全然ナウいのだが。なんつーか“あ・うん”の空気が“戻ってる”とゆーか。バンドとしての互いの距離感が、もはや密接を超えて混じりあっちゃってるような一体感がある。で、かつてロックが、もっともっとヒリヒリとロックだった時代を生きてきた人たちにしかできないことを、遠慮なくどんどんやっちゃってるという意味での積極的な“戻ってる”感とゆーのもある。
かしぶちさんの、矢部さんとのドラム・バトルの独特の間合いとかね。岡田さんが一瞬ビル・ペインに見えちゃった、絶妙なスキをつくアドリブとかね。このカッコよさは、昨日今日のスキルでは体現できまい。いやー、しあわせ。ありがたい。肉体は立派にオッサンなのに、ヤンガー・ザン・イエスタデーだなぁ。6人とも、揃いも揃って!

しかも。最近、この人たちは自分たちがオッサンであることも武器にしているよーな気がする。アイドルとして(笑)。ドラム台からヨッコイショとジャンプしてみせるとか、照れながら踊ってみせるとか。オッサンならではの特性を考慮したうえで、自分がいちばんかわいく見える方法を計算してやってる気がするなぁ。バンドがインストを演奏している間、スツールに座ってクルクル回って笑いをとっていたブライアン(99年の初来日)の確信犯に通ずるものがある。つーか。ほとんど“ネコの肉球見せ”に近い。ずるいっちゅーに。と、わかっていても……カワイイぞ。みたいな。まいったなorz。

続いてゆく。とは、どういうことだろう。
最近、このバンドの音を聴き、姿を見るたびに思う。

先日、1976年の初ワンマン・ホール・ライブである“ムーンライト・リサイタル”の奇跡のCD化が実現した。『火の玉ボーイ』から始まったムーンライダーズは、その後、もともとのアメリカン・ロックやノスタルジア・ミュージックからの影響を少しずつ薄めてゆき、かわりにパンク〜ニュー・ウェイヴやダブといった新しい音楽の流れを意欲的にガンガン取り込んでゆくようになる。が、2005年、ここに来て我々は鈴木慶一の“モノを捨てられない性格”に感謝することになるとは! どんどんカタチを変えてきたバンドは、過去を捨てながら新しいものに乗り換えてきたようにも見えつつ。実は何ひとつ捨ててきたものはなかった。手に入れたものを全部持ったまま、ここまで来ているのだ。どんどん融合しては変化してゆくわけで。だから、最新アルバムと『ムーンライト・リサイタル』を並列しても妙につながってしまう。地続き、なのだ。

来年、ムーンライダーズは30周年を迎える。
解散してないし、誰も辞めてないし、新しく入ってきた人もいない。
そして、なんだか昔よりずっと楽しそうだ。
このまま続いてゆくのかわからないが、続いてゆかない理由が思い浮かばない。
ますます説明のつかないバンドになっていくような気がする。
どーゆーことかわからないけど、彼らは何らかの“選ばれし者”である。
ここから先に起こることは何もかも、すべての瞬間が奇跡だ。たぶんね。

ムーンライト・リサイタル1976

ムーンライト・リサイタル1976