Less Than JOURNAL

女には向かない職業

あけましておめでとうございます。

 昨年暮れのベルリン・フィルブロムシュテット指揮のブルックナー3番&マリア・ジョアン・ピリス(ピレシュ)のモーツァルト協奏曲第23番をiPadで観ながらゆるゆると仕事始め。ピリスさん(と書くと、日本で“ロベン・フォード”と書かれたロビンが「俺はロベンじゃねぇよ」と怒ったという話を思い出すが、こちらの名前がどうしても馴染んでいるのですみませんが)は、昨年、このブロムシュテットベルリン・フィルハイティンクチューリッヒ・トーンハレ管との共演を最後に演奏活動から引退することを発表。今年4月にN響共演とソロ・ツアーのために来日する予定で、それが本当の最後になるようだが、実質的には年末の2つの舞台がケジメの引退興行ということだろう。
 新年にどんな音楽を聴くかというのは、おみくじみたいなモノでもあると思う。けれどそれは神頼みとか運試しではなくて、自分が無意識のうちに選び取る昨年の反省と今年の夢なのではないか。と、思う。

 ピリスさんの凛とした音色。真冬の朝、静まりかえった世界にひとり飛び出して、降り積もった新雪を踏みしめて歩く。シャキ、シャキ。そんなささやかな音。ピリスさんのピアノの音色は、そんな風に響く。ささやかだけど、何ものにも代えがたい美しい音。背筋が伸びる。素晴らしい。引退を撤回してほしいと、誰もが思っている。なぜ引退するのかは、たぶん本人にしかわからない。他人の評価がどうであれ、命を削ってきた自分にしか見えないモノサシで生きてゆく人の美しさ。

 ブロムシュテット翁は、御年90歳。昨秋もライプツィヒ・ゲヴァントハウスと来日して、忘れがたいツアーをやってのけた。その溌剌とした、優雅で力強いブルックナーを拝見しているとしばしばお齢のことを忘れてしまう。けれど。90歳。ふつうなら飛行機で海外旅行することも周囲が心配する年齢。その仕事ぶりは、100歳を超えても世界中を飛び回っているようなイメージがあるけれど。ベルリンフィルのステージでは、椅子に座っての指揮をされていた。今、この瞬間に奏でる音楽を、明日、同じように奏でられるかどうかは誰にもわからない。おそらく生涯現役を貫く覚悟のブロムシュテットさんと、若くして引退を決意したピリスさん。正反対のようでいて、同じだ。誰のモノサシにも惑わされることなく、命を賭けて音楽と向き合ってきたひとたち。ときおり、まなざしを見交わすふたりの優しい表情からは、もう、なんというか「音楽」というものの秘密が全部あふれ出ているような気がする。

 昨年、Facebookライブ配信されていたブロムシュテットさんの来日会見を観た。長寿の秘訣を訊ねられて、シベリウスチャーチルを例にあげて笑わせたりしながら、最後に「今に感謝すること」とさらりと答えた穏やかな笑顔が忘れられない。あたりまえのような言葉だけど、彼の言う「今に感謝」という言葉だからこそ同じ時代に生きる私たちへの贈り物のように響く。今に感謝、という言葉は自分自身が積み重ねてきたものへの誇り、これまでの人生の肯定なのだと気づかされる。


 そんなわけで。今年は、心から素直に今に感謝できる人間になりたいです。
 昨年は、初めて胸を張って自著といえる本を出すことができて。今まではものすごく受け身で、必要とされる場所で、書いてほしいと言われることを書くのが仕事なのだから、需要がなければ書くことはできないし、あわよくばそれを楽しむことができたら最高だけど、そんなことは滅多にないのはあたりまえと思ってきて、自分の書きたいことが、世の中の需要と合致することはない。と思ってやってきました。けれど、今、自分が書きたいと思っていることを書かせてくれる人がいて、書けて、誰かに読んでもらえるってこんなに幸せなことなんだと、この歳になってようやく知りました。そんなわけで、神様、私はこれまで、自分がやりたいことをやる勇気もないくせに、ものすごく欲深い人間でした。でも、去年は、いくら欲深くなろうとしても、公私ともにこれ以上のことは望めないくらいに、これ以上のことを望んだらバチが当たる素晴らしい1年でした。客観的に見れば、大変なことや不幸なこともたくさんありましたが、それを経験したことで学んだことも多くて、苦労も含めて最高の1年でした。振り返ってみて、自分で「いい1年だった」なんて素直に言えるのは初めてのことかもしれない。なにせ、欲深かったから。幸運な出来事というのも、結局、自分がそれまで積み重ねたものの上にしか訪れないこともよくわかりました。だから、今年はもう何も望みません。ただ、自分にできることを全力でやれますように。怠けませんように。年末には自分がどうなっているのかもわからないし、そもそも、生きているのかどうかもわかりません。けれど、やがてやってくる最後の瞬間も「今に感謝」できる日々を過ごせますように。

 ところで、余談ですが。ベルリン・フィルの有料配信サイト“デジタル・コンサート・ホール”の年間会員になって、私はまだ5年くらい(あれ、もうちょっとかも?)なのですが、ここ3年あまりの進化がめざましい。以前は生中継回線はブツブツ切れまくるし、まぁ、お安くない会費も未来に向けての投資かなとプチ・パトロン気分も3割くらいの感じで払っていたのですが。次々と世界最先端技術の企業や技術者とタッグを組み、間違いなく近々に世界初コンシューマ向けハイレゾ生中継映像配信……なんていうSFみたいなことをやってのける最初の音楽組織になりそう。以前はちょっとお高めと感じていた会費も、今では申し訳ないくらいお値打ちに思える。で、だいたいこういうサイトは、技術の発達と予算拡大によって「より進化したサイト」にしたつもりが結局、改悪でしかない場合が多い。すべてが改悪でないとしても、以前のほうがよかったのに的な面は必ず出てくる。それは、規模が拡大すると人員も増えて、専門家らしき人たちだの何だの愛情のない門外漢が増えたり、ユーザー感覚を理解しないビジネスマンが口を挟んだり……という、いちばん意味のない“船頭大杉”状態に陥るのが原因。そういう意味でも、ベルリン・フィルは“改善”ばかりで“改悪”を感じる箇所はなく本当に成功している。ミュージシャンである楽団員が配信サイトの運営も主導権を握っているというのが勝因だと思うのだけれど。いまだフィジカル至上主義のアナログなクラシック界において、世界最高峰のオーケストラがデジタルへの挑戦の最先端を行くというのは、ものすごくノブレス・オブリージュ的な騎士道精神を感じてカッコいいです。