ひとをのろわばあなふたつ
私たちは幼稚園や小学校で先生から、
「自分がされたらイヤなことを、おともだちにしてはいけません」
と教わる。
おともだちではない人に対するいちばんの辱めとは、
自分がされたらイヤなこと。
そういうのが深層心理として生きているのかどうかわからないけど、
私たちは、大好きな友達へのプレゼントに悩んだ時には「自分がいちばん欲しいもの」をあげようと思うように、「あいつがいちばんイヤがることをしてやろう」と思った時には「自分がされたらいちばんイヤなこと」を考えがちではないだろうか。
昨日の記者会見(見られなかったけど)の話を聞いていちばん最初に思ったのは、
これをやらせた人は、公衆の面前で恥をかかされることがいちばん堪えるんだろうなということ。そういう意味では、罰ゲームは大成功だったかも知れない。
でも、公共の電波、公共のスポーツ新聞(マスコミともタブロイドとも呼びたくない)を使ってここまで追い込むという手法は、いわば教科書どおりの王道パワハラである。日本全国のサラリーマンが、パート主婦が、アルバイト君が、私のような下請けフリーランスが……とにかく、ありとあらゆる労働者たちの心に「あー、あるある」の思いがよぎった瞬間、事情は大きく変わってしまった。
当初は世間も、たいがいの大人は「SMAPなんて興味ないよ」「アイドル話で大げさな」と冷ややかだったけれど。そういった人たちが、今、この状況に不快感を示すのは、今のSMAPを、自分たちをとりまく環境で起こりうるひとつの事例として容易にリアルに想像することができるから。
大きな意味では、それは今の政権と国民という間柄にも似ているしね。
それでも大本営のシナリオや架空の《街の声》を、第三者を装った代理人であることがバレバレになってなお必死で垂れ流すメディアも、《テレビのウソ》を暴く格好のお手本となってしまった。
当事者の誰もが想像できなかったほどの、
ずいぶんと大きなブーメランが放たれてしまったのかもしれない。